■2013年12月14日:チンギス・ハーンの一族
歴史を読むのが好きだが、西洋には全く興味がない。
そもそも日本は西洋文化にかぶれており、見よう見まねな事物が溢れかえっているからだ。
だから、欧米の文化事績なんて、ちっとも面白くない。
そんな私が最近ハマっているのが、モンゴルである。
その史蹟を詳しく本で読むのに、陳舜臣を選んだ。
陳舜臣の本は、「耶律楚材」(チンギス・ハーンに仕えた契丹人)を読んだことがある。
散文調で大変読みやすい構成である。
そこで、モンゴルに関しても彼の本を手に取ることにした。
モンゴルというと社会主義国の印象があるが、今は資本主義国である。
チンギス・ハーンは偉大な征服者の他に殺戮者という印象があるが、
本書は、あとがきでも述べられているがモンゴル帝国の興隆がメインであり、
後半は、英明で知られたフビライ・ハーンの物語である。
一族の中でも、孫で元朝の創始者フビライ・ハーンは、平和のために戦を行ったことで知られる。
彼は無用な殺生はしなかったのだ。
この時代のことだから、それでも殺しはしたのだが、西洋の方がよっぽど凄惨なことを行っている。
本書を通じて、一般論では知り得ぬモンゴル帝国の秘密を知ることができる。
シベリアという地名が、ジュチ・ウルス(キプチャク・ハン国、チンギス・ハーンの長男ジュチが東欧に建てた国)の、
シビル(ジュチの5男)の末裔がジュチ・ウルス分裂後に建てたシビル・ハン国が由来となっていることや、
ティムール帝国のティムールはフビライの孫のテムル(鉄、という意味)が語源となったこと、
アイユーブ朝のサラディンとチンギス・ハーンが同時代人だったことなどは気が付かなかった。
学校の歴史の授業ではそういう教え方はしない。
そのフビライ・ハーンの夢が海に出ることだったとも知らなかった。
彼は兄・モンケと付き合う際に於いて、他人の心を読むには、
まず他人との違いを知ることだと考えていたという。
先人の知恵や教えから、我々は色々なことを学ぶことができる。
私は魂は不滅だなどという妄想は持っていないが、
賢人は事績を通じて確実に後世に教訓を残してくれている。
魂は不滅ではなくとも、業績は不滅なのである。
高校生の頃、バカな理科の教師がいて、この男は札付きの嘘つきだったのだが、
「過去など学んでも仕方がないよ」と常々言っていた。
彼の持論では、エジプトのピラミッドは宇宙人が作ったらしい。
単に学がないだけだ。
私は「前しか見ない」という人間は信用しない。
失敗は発明の母、教訓を学ばない人間は成長の記録が残らない。
失敗したことがないという人間なら、人の痛みが分からないはずであり、
そんな人物とは付き合う価値がない。
しかし陳舜臣がこれを書いていた頃、半身不随だったとは知らなかった。
やはり戦前の生まれの人は根性が違う。
私も膝が痛い等と言ってはいられない。