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■2015年4月23日:大空のサムライ

クリックして拡大  原題:タイトルと同題 (1967年日本) クリックして拡大  原題:続・大空のサムライ (1970年日本)
 著者:坂井三郎/1916-2000 日本生  著者:坂井三郎/1916-2000 日本生
 文庫初版:1993年1月10日 光人社FN文庫  文庫初版:1993年3月8日 光人社FN文庫
 第9刷時価格: 1995年2月10日 980円  初版時価格: 780円
 巻数:単巻  巻数:単巻
 品番:さN-1  品番:さN-4
 管理人読了日:1995年11月9日  管理人読了日:1995年12月21日
 映画化:未  映画化:未
 映画題名:  映画題名:
 映画主演俳優・女優:
 
 映画主演俳優・女優:
 
 日本語DVD化:−
 
 日本語DVD化:−
 

今回は小説ではないが、その名を聞いたことがある方もいるだろう。
坂井三郎は第2次世界大戦期の旧日本海軍のパイロットである。
本書は、その彼が中国大陸にて戦闘機乗りとしてスタートを切り、
そしてラバウルでの激戦と、かの有名なガダルカナル島上空での被弾と生還から
終戦間際の頃までのことが綴られている。
本書は世界中で出版された。

「ラバウル」という地名など、現代っ子には聞いたこともない人が多いだろう。

「続・」の方は、追補編という感じである。
しかし、決して付け足しの感には終わっていない、読む価値のある一冊である。

坂井三郎というと、その著作のゴーストライターの存在や、
史実と辻褄の合わない記述など、存命中から色々と槍玉に挙げられていたようだが、
まずゴーストライターがいたとしたら、これだけ零戦のことについて詳述できる
ゴーストライターとは、一体誰で何者なのか。
本書は物語としても秀逸である。だから、そのゴーストライターには、
かなりのストーリーテラーの才能も求められるわけだ。

そして仮に坂井のゴーストライターがいたとして、真偽のほどはともかく、
本書の価値がどれだけ減ずるというのか。

史実と異なる記述があったとして、日記でもあるのならともかく、
何十年も前の事柄を事細かに覚えている人間などいない。
本書は自伝でも歴史書でもなし、多少の誤りが書物の優劣を決めるものではない。

まず、「大空のサムライ」というタイトルからして、「勝った」感がある。
考えてみてほしい。60・70年代の話である。
「サムライ」などという用語は欧米には普及しておらず、
本書は「ゼロ戦ブーム」の火付け役となった。


それよりも、坂井が大戦を生き抜いたことは間違いのないことだし、
ドーントレス急降下爆撃機の機銃弾に頭部を撃ち抜かれても
戦闘機を操縦し、生還した人物である。
そんなことは誰にでもできることではない。

坂井の著作には彼自身の率直な心境と、実に詳細に渡って戦術や理論について
調査・検証・実習をしていたことが伺える。
一言で言って頭の良い人だったのだなあ、と感嘆するばかりである。

例えば、こんなエピソードが綴られている。
初めて零戦を操縦する講習を受けた際、96式艦戦と比べて、
零戦にはあまりすっきりしなかったそうである。

そういえば、別の本で陸軍の戦闘機でも、それまで一式戦闘機「隼」に乗っていた操縦者が、
四式戦闘機「疾風」を受領した際、同じような感触を持ったそうである。

話が零戦に及んだところで、もう少し脇道に逸れてみよう。
日本の旧軍の戦闘機が格闘戦を重視した作りであることは良く知られている。
日本やイギリスの戦闘機は翼面荷重が低く(主翼の面積が広い)、格闘戦に優れていた。
これに対して、ドイツや米軍の戦闘機は、上昇力、降下時の堅牢性にものを言わせた、
一撃離脱戦法に優れていた。当然それには、重火力や高い防御力も伴わなければならない。
さらに、広い大洋が戦場となる日本海軍の戦闘機には、長大な航続力が必要となってくるが、
これらを折衷したのが零戦であって、今までと異なる使い勝手に戸惑う搭乗員が多かったそうである。
しかしながら坂井は持ち前の適用能力の高さから、前向きにその辺の問題と折り合いを付けていったようである。

もっとも、戦闘機の性能に関しては、対戦後期に登場する米海軍のF6Fなどは、翼面荷重が高いにもかかわらず、
強力なエンジンにものをいわせ、力技で太平洋を制圧していった。
戦中も戦後も、日本は軍用機用の高性能エンジンを作れなかったのだ。


「続・」の方になるが、あとがきに「人生には自分で考えてやらなければならないことがたくさんある」
という主旨のことが述べられている。
私の今の人生の目標というか指針は、まさにこの一言に基づいている。
いまどきの若者には、この気概に欠けるものが実に多くいる。
坂井の著作にいちゃもんを付ける輩は、まずプラモデルでいいから
零戦を一機作ってみるべきである。もちろんきちんと塗装をして。

”きちん”と出来上がれば、その素晴らしい出来栄えに驚くことだろう。
日本機の美しさが実感できると思う。
要するに、そういうことなのである。

我々の人生というのは、何かしら成し遂げ、それを積み上げていくことで
次世代への橋渡しを行うことに存在意義があると私は信じている。
これは何も戦争のことを言っているわけではない。
戦争は、頭の悪い政治家が私利私欲で権力にものを言わせて始めたことであって、
それは問題外である。

日本人は、まあ何人であろうとそうなのだが、
生活が安寧化しているせいで、目的意識に欠けてきている。
だから、中国だのその他の東南アジアの国々だのが経済的に台頭してきているのだ。

ここはひとつ、先人に学んで、もう一度自らの人間としての存在価値を見直してみるべきである。

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