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■2017年5月22日:ドラキュラ伯爵

クリックして拡大  原題:VLAD TEPES (1978年ルーマニア)
 著者:ニコラエ・ストイチェスク
     Nicolae Stoicescu/1924〜1999 ルーマニア生
 文庫初版:1988年9月10日 中公文庫
 再版時価格: 1994年1月25日 560円
 巻数:単巻
 品番:ス-2-1
 管理人読了日:1994年5月7日
 映画化:未
 映画題名:−
 映画主演俳優・女優:
 日本語DVD化:

日本でも串刺し公として有名なドラキュラことワラキアの君主、
ヴラド・ツェペシュ

確かに中世キリスト教国では吸血鬼信仰があったのは事実だが、
これは科学が未発達であり、悪魔信仰まであった古代・中世のこと、
民間伝承である。

ドラキュラの由来となった「ドラクル(dracul)」はルーマニア語で悪魔という意味であり、
(本書によればツェペシュは「丸太棒に突き刺し殺す公」という意味)
ヴラド公が敵に対しては強硬な刑に出たため恐れられて付けられたあだ名であり、
串刺しの刑などは古代ギリシャ・ローマ時代から行われていた。

ヴラドが生きた時代、バルカン半島はセルビア、ブルガリア、ハンガリー、ポーランドと
至る所でオスマン朝の脅威に晒されていた。

キリスト教・イスラム教とも、自身信仰はないものの仏教国に住む私にしてみれば、
一神教徒の自らの信教こそが世界で一番正しい的な戯言など片腹痛いのだが、
信仰している人々からすればマジなこの宗教争いの中にあって、
15世紀当時の地中海世界では、圧倒的にトルコ軍優勢だった。

フランスもドイツもイギリスも内輪もめに夢中で、当事者であるバルカン諸国の人々以外には、
誰も無関心。それで、これらバルカン諸国の国々は、諸侯がそれぞれ孤軍奮闘して
オスマン朝の脅威に対抗するしかなかったのである。
(ヴラド公の他に有名なのは、ハンガリーのマティアス・コルヴィヌス、アルバニアのスカンデルベグ等)

しかし、ヴラド公はヴァルナの戦いでポーランドの若造のおかげで敗北し、
オスマン軍に捕らわれてしまう。そしてそこから、彼の功績は下り坂となってしまう。

バルカン諸国というのは、ワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニアと各国が
群雄割拠する地域であり、各国の思惑が交差する複雑な状況となっていた。
ヴラド公も、大目標としてはオスマン朝という共通の敵がありながら、
この各国の戦略が異なる中で、歴史の流れに翻弄された君主の一人にすぎない。
それでも、彼の政略は一貫して祖国愛に基づいたものであり、
今ではルーマニアの救国の英雄として崇められている。

ドラキュラ信仰などというものは、ピラミッドが宇宙人の産物、
と考える輩と一緒で、小説家の創作を真に受けた無知な人々の幻想である。
それよりも、こうした書物で我々の祖先の過去の業績を正しく学ぶ方が、
人類の未来にとってはよほど建設的である。
なぜに人類の史跡をわざわざいるかいないか分かりもしない、
宇宙人の手柄ということにしたがるのか、理解に苦しむ。

ちなみにピラミッドの話だが、ミイラというのをご存じだろうか?
古代エジプトの信教では、死者は死後に復活するため、復活する際に肉体が必要なので、
あのような形で保存することを考えられたのがミイラなのだが、
復活する際にそれこそ魂の進入角のようなものを綿密に計算した結果、
あのような建造物になったのだと考えられている。

古代人にどうしてそのような人間離れした技が可能だったのか?
自分にできないことは他人にもできないと考えるのは、良くない考え方だ。

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