■2010年10月7日:コンピューター普及の歴史
「誰でも知ってるよ」と言われそうなことだが、生まれた時からインターネットが存在した世代の為に、
今回はさらに誰にでも分かるように、細かい事柄や正確な時系列は他のソースに譲るとして、
なるべく分かりやすく、読みやすい文章を心掛け、コンピューター普及の歴史を概観する。
今日のコンピューターは大きく分けると俗に言う”Windowsパソコン”と”Macintosh”という
2大系列に分かれる(もっともマックのシェアはウィンドウズに大きく水をあけられてはいるが)。
ご存知の通りこの”Windows”というのはOS(Operating System)というソフト・ウェアのことであって、
パソコンの登録商標のことではない。ましてやハード・ウェアを表す言葉でもない。
今のWindowsマシンというのは、構造的には80年代初期にIBMが開発/発売した
「IBM PC」の流れを汲むものであり、そのモデルには「XT」や「AT」等何種類かあるのだが、
現在の標準が概ね「AT」仕様であることから、AT互換機と呼ばれたりする。
この”互換機”というのがミソで、IBMはこれを発売時、「IBM PC/AT Compatibles」と銘打った。
どういうことかと言うと、「オープン・アーキテクチャー(こちらの方がAT互換機という言葉より良く知られている)」と言って、
市場競争活性化の為に機構を公開し、他社にも市場への参入の機会を開いたのである
(これはもちろん独禁法対策もあるのだろうが、IBMは後にコンシューマー市場からは撤退してしまったので、
この施策が必ずしも自社の為になったとは言えないが)。
凡そ日本的な考え方ではない。この点でIBMは真に偉大な企業である。
日本には90年代初期に「DOS/V」という名称(というか規格?)で、AT互換機が上陸した。
この名称は、OSであるDOS(Disk Operation System)の日本語対応をソフトウェアで可能としたことから、
「VGA(Video Graphics Array)」のVを取ったものである。
登場当初、後述する国内メーカー各社は「言語対応をソフトウェア的に行っているので、
その分ハードに負荷が掛かる」等と悔し紛れにコメントしたものだが、
現実にはDOS/Vマシンは総じてそれまでの並みいる国産パソコンより高性能であり、
大して影響も無く、実際にパソコン雑誌などでもそういった国内メーカーの反応は
「僻みや負け惜しみ」に近いものだと批評された。
新しい物好きな父の影響も有って、コンピューターも早くからこのAT互換機を手に入れていた私は、
同様の思いでこの争いを眺めていた。
さらにこのDOS/Vマシンは前述の様な事情でたいそうな低価格を実現していた為、
PC-9801(NEC)を代表として、X68000(SHARP)やFM-TOWNS(富士通)等の
日本のPCメーカー各社は、こぞって自社ブランドをかなぐり捨ててAT互換機に鞍替えした。
NECなどは多少は抵抗したものの、各社ともその変わり身の早さは異様なもので、
私をして「今までの高額パソコンは何だったの?」との思いを感じさせてくれた。
アクセサリーでも何でも純正品を買わなければ動かなかった時代は何処へ??
WindowsはMacintoshの紛い物と言われるが、
今ではいつの間にかMacintoshも中身はAT互換機そのものである。
これが(日本での)コンピューター普及の歴史の概要であり、
言うまでも無く重要な役割を果たしたのはIBMだ。
国内産業の保護などと叫ばれる時代もあったが、これは単に”鎖国ビジネス”である。
現に今も、国内PCメーカー各社は互換機ビジネスで十分飯を食って行けている。
”雇用の確保”という点では、国産もクソも無いのである。
今の国際社会に於いて、「アメリカに席巻される」的な考え方は、時代遅れなのだ。