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■2021年10月12日:スパイ小説の世界へようこそ U- 2

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五十男とコニーは、10月にシンガポールで挙式した。
11月になると、雨期に入るからだ。

式には、五十男の養子のノトに店主夫妻やトク、コニーの両親は参加してくれたが、
五十男の両親はさすがに高齢なので、来なかった。
トクの話では、ユノもいたそうなのだが、
五十男とコニーにはユノがどこにいるのかわからなかった。

もちろんのこと、アドゥルにも敢えて知らせなかった。
何か言われようと、構やしない。

ノトは式が終わってみな帰った後、
酔いつぶれて会場の床で伸びているのが発見された。

コニーは輝くばかりの美しさで、五十男の第2の人生、
というより余生に花を添えてくれそうだった。


二人は相談して、結婚式のあと、コニーは仕事をやめて
タイで暮らすことにした。

今の五十男の収入は、1回の報酬としては悪くないのだが、
何しろ不定期だったので心配したのだが、
コニーは働くと言ったので、この線で行くことにしたのだ。

コニーはさすがに学卒の現代っ子であり、
コンピューターを使って何やらSOHOまがいのビジネスをすることで、
家賃分は無理とはいえ、二人の食費くらいにはなりそうだった。

飼える目途が立ったので、マリーも田舎から引き取ってきた。
これは五十男にとって大きな喜びだった。

室内で飼っていたので、マリーは狂犬ぶりをいかんなく発揮して、
五十男の手だろうと頭だろうと、おかいなしに噛みついてじゃれてきた。


ある夜、二人はトンロー通りのEi8ht THONGLOR 2Fにある寿司店「鮨忠」に行った。
五十男はこの店の常連で、月に1度は通っていた。

ここの上にぎりは日本とそう大して変わらない値段で、いくらも本物を使っている。
ひとつだけ気になるのは、五十男は肉でも魚でも脂っこいものは苦手なのだが、
通常は中トロのところを、板前が気を利かせて”大トロ”にしてくれてあったりするのだが、
実は余計な気遣いで、困っていたのだ。

「そうしたら、それはわたしが食べてあげるわ」
そう言ってコニーが大トロを二人分、ペロっと食べた。

「おいしい! タイで食べるお寿司って、シンガポールよりおいしいかも」

「だろうね。それには僕も同意するよ。
但し、シンガポールの店主には内緒にしておくように」

「あ、そうだった。
(シンガポールに)帰ったら気を付けないと」

こんな塩梅で、二人は新婚そのものだった。

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しばらくは仕事が途絶えていたし、
あまり幸せすぎて、五十男は世界の治安を守る一翼を担っている、
という自分の気概を忘れてしまいそうだった。

コニーのビザ取得のため大使館に行ったりする間、
なんとなく、情報機関の手のものに監視されているような気はしていたが、
あまり心配しなかった。

刺客だったら、監視する手間など省いて襲撃してくるだろう。


五十男は、これを結婚休暇と勝手に決めて、
コニーを連れて王宮を始めバンコク市内を案内して周り、
プーケットやサムイといった、ビーチ・リゾートにも連れて行った。

「ねぇ、人間誰でも人生の目標を持っているわよね」

二人はパレサ・プーケットの絶景を眺望できるレストランにいた。
ちょうど日が沈みかける時刻だった。

リゾート内で行き交う男たちが、たとえカップルでも、
コニーがしているダイヤの指輪を盗み見ているのを感じて、
五十男はひとりほくそ笑んでいた。

いや、コニーは感づいているだろう。


コニーに何を訊かれているのかだいたいわかっていたが、
五十男はとぼけることにした。

「そうだね。
僕は大学入学も億万長者もかなわなかったけどね」

「そんなちっぽけな目標しかなかったの!?」
片方の手の平にあごを載せていたコニーが吹き出す。

そういえば、マフアンは都心に家を構えるのが目標だと言っていた。
実家は田舎だから没だというわけだった。

「億万長者は小さな目標かい?」

「お金があっても、幸せとは限らないわ」

あっさりと答えたコニーが続けて言う。

「あなたの目標はなに?」

「僕は就職はできたし、マフアンときみのような美人と
結婚できたから、もう目標はないよ」

世の中には、成功して大金または権力を手にしたい、という人間もいるが、
野心が満たされることを欲する人間の心理は五十男にはわからなかった。
それのどこが幸せだというのか?
幸せに客観的な基準はないというが、
自分の野心が満足したところで、世の中は平和にはならない。

「欲のない人ね。
もっとも、私の名前が出て来なかったら、どうしようかと思っていたんだけど」

あぶないところだった。
なんとかセーフだ。

「子供はノトだけでいいの?」

来た。
やっぱりそういうことか。


今まで二人とも敢えて話し合わなかったが、
五十男はコニーは子供を欲しがっている、と感じていた。
結婚して、自分の子供が欲しくない女性などいない。

五十男とマフアンの間のように、できなかったのは別として。

ただ、五十男はこの歳でも相変わらず、子供を育てる自信がなかった。
特に、何がどう転がったところで、自分の方がコニーよりは先に
天に召されるのはわかりきっている。

自分がいなくなったら、コニーは子供をどう育てるつもりなのだろう?
そんなことを五十男が心配する必要はないのだが、
コニーに迷惑を掛ける恐れがない、と確信できるまで、
決断できないでいたのだった。


「もう一杯ビールをどうぞ。
いや、カクテルの方がいいかな?」

五十男は、はぐらかそうとした。
しかし、コニーはその手には乗らなかった。

「あなたが飲まないのなら、いらない」

しまった。
機嫌を損ねてしまったぞ。
五十男は飲酒しないので、今さらこの言は、
コニーとしては断固受け入れられない、という表現に他ならない。

食事には、五十男の好物の
プー ニム パッ プ タイ オーン(ソフトシェルクラブの胡椒炒め)に、
ヤム トゥア プー(四角豆のサラダ)、コニーが注文したソム・タム(パパイヤサラダ)を
頼んでいたのだが、このままでは飯がまずくなってしまう。

とはいえ、現状で接戦に持ち込むのは不可能だ。
食事をしながら、どう挽回するか考えた。
せめて、食後のコーヒーの時間までには持ち直したい。


「そうしたら、今晩二人でもう一度話し合おう」

愚にもつかないが、五十男はそうやって引き延ばす作戦に出た。
”帰ったら”とか、”今度”みたいに、何日もかかるような延長作戦よりはマシだ。

「何を?
さっきの話?」

コニーがソム・タムのトマトをつつきながら訊いた。

「そうそう」

「あらそう?前向きな返事を期待しているわ」

普段女らしい女が、珍しくも回答を要求するようなことを口にしたら、
覚悟した方がいい。下手をすると血を見る結果になる。

ソフトシェルクラブを解体しながら五十男を見つめるコニーの目つきは、
豹の目のようになっていた。

ほれ、見たことか。


この晩のコニーは、茜色のノースリーブのドレスを着ていた。
裾は、パレサのようなオープン・エアのレストランでも、
風が吹いてめくれてもいいように長めだが、
肩は紐でしか吊っていなかった。

部屋に戻ってくると、シャワーを浴びる前から五十男はその紐を両手でつまんで、
コニーのドレスを床に落としてしまった。

さすがに下着はつけていたが、コニーのスタイルのいい裸体が露わになった。
五十男の頭はコニーの胸の上にあったので、南国の気候で
コニーの胸元にうっすらたまった汗を舐めた。

「くすぐったいわよ」

コニーはこの時点では、乗り気ではなさそうだった。
コニーの目を見つめながら、彼女の片方の乳首に指で触れた。

「やーっぱり話なんてする気はないのね」
自分の下着を剥いでいく、五十男の手を目で追いながらコニーは言った。

はぐらかされる気はないと言っている。

「そんなことはないよ」

「それなら、彼に訊いてみようかしら?」

そう言ってコニーは五十男の下腹部で存在を主張している息子をつかんだ。
そのまま下を向いて、息子の頭を反対の手の人差し指でつついた。

「あなた、兄弟は欲しくない?」

そのまま、美しい顔を五十男の顔の間近に近づけた。
今日のコニーの唇は、緋色だ。
つまり、女にとって、戦闘態勢だ。

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「さあ、どうする?
さっきのわたしのお願いを聞いてくれるなら、
今晩もあなたのお子さんを寝かしつけてあげるわ。
そうじゃなかったら、今日はビールをもう一杯飲んで寝るわ」

「ははは、かなわないな」

「そうよ。今後はわたしにたてつこうなんて考えないこと」
そういってコニーはにっこり笑った。

男女の関係というのは、最終的にいつもこうなるものなのかと、五十男は観念した。
もはや諦観の域だ。

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