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■2022年2月8日:スパイ小説の世界へようこそ V-2

3

風のない日だった。
普段であれば、風と一緒に大量の砂が舞ってくるため、
顔を覆うシュマグ(鼻と口を覆う布)が欠かせないのだが、
この晩はそういう心配はせずにすんだ。

焚火を焚くわけにはいかないので、あたりはほぼ闇だ。
彼らは、深い涸谷(ワジ)の中にいた。
陰になった隆起に背中を預けて、低い声で話し合っていた。

ここ数か月、アダウラと彼が率いる小部隊は、
そうやって姿を隠しながら、ワジからワジへと移動を続けていた。

彼らは、イラク北部の砂漠にいた。
モスルとティクリートの中間あたりで、間をティグリス川が流れていた。
彼らの根拠地はモスルなのだが、ここまでは車両で輸送してもらったのだった。


2度、東南アジアに送り出した配下は、2度とも戻ってこなかった。
しかし、上官のアル・アフダルはあきらめなかった。

お膝元で勢力拡張を望めない今、異なる国で繁栄にあずかろうというわけだ。
もちろん、その思想自体はアダウラにも理解できた。

とはいえ彼らが行こうとしている東南アジアのイスラム教徒は、
資本主義の害毒に侵さている。

彼らは確かにイスラム教徒かもしれないし、
アッラーの教えに帰依しているのかもしれないが、
生きているのは金のためだ。

そういったものたちに、自分たちの理念を伝播させることができるのか、
アダウラには疑問だった。

彼らは、戦いと共に生きている。
しかし、まだ見ぬ国々で暮らしているイスラムのものどもは、
そういった危険な生活を知らない。
だからこそ、資本主義の偽りの中で暮らしていけるのであろうが、
それをどのように転向させることができるのか?
まだ答えの出ていない難問だった。

アル・アフダルなどは、指導だというのだが、
そんなたわごとを真に受けるほどアダウラはうぶではなかった。


なにはともあれ、まずは部下を訓練しなければならない。
彼が率いる6人の部隊・・・
ハフェズ、ムラト、アサド、ウサマ、オマルにハキム・・・は、
リーダーのハフェズとムラトは戦闘の経験が豊富だが、
あとの4人は新米も同然だった。

彼らが、東南アジアに送り込むメンバーなのだ。

新米の4人、アサド、ウサマ、オマル、ハキムのうち、
オマルとハキムは教育を受けてきており、
新たな地での信徒の精神的指導にあたる。

二人いるのは、教祖として反旗を翻すことを避けるためだ。


彼らは、ライフルと手榴弾で武装していた。
他に、RPG-7とそのロケット弾、AKの弾薬も大量に持ってきていた。
戦闘装備なのは、このあたりにも外国軍がいないわけではないからだ。

彼らは、武器・弾薬の他には水と食料しか持ってきていなかった。
無線機はもちろん持ってきていた。
これがないと、帰りの車両を呼べない。

排泄物はビニール袋に入れて後で焼却処分し、川のそばにいて、
衣類も、人がいない頃合いを見計らって、自分たちで川で洗濯して干した。

そんなはたから見れば牧歌的な光景をよそに、
新米戦士たち含めて、彼ら自身は真剣だった。

「予備の衣類は汚したり、濡らさないように気を付けろ。
東南アジアはもっと蒸し暑いところだと聞く」

隊長のハフェズが部下にそう訓示するのがアダウラにも聞こえてきた。
彼とムラトはここイラクでさんざん西洋人と戦ってきた、歴戦の勇士だ。
殺した兵士の数も、両手の指では足りないだろう。

ハフェズは、AK-47の湾曲した弾倉から弾丸を抜いて、
内部をクリーニングしながら話していた。
埃っぽいので、火器は銃本体のみではなく、
弾倉といったものまで、メンテナンスが欠かせないのだ。

ハフェズは、クリーニングが終わった弾倉に弾丸を込めなおし、
ディシュダーシャ(長衣)の胸に吊ったポーチに戻した。

アダウラは彼らを誇らしく思った。
オマルやハキムの宗教知識も含めて、攻守のバランスが取れている。
なにより、意気が上がっている。

このメンバーなら、目的を達成できるだろう。


訓練は熾烈を極めた。
まずもって、蛇だのサソリだのが徘徊する砂漠地帯だ。
ここで寝泊りする時点で神経をすり減らす行為だが、
武器・弾薬・食料の一切合切も背負ったり、吊ったりして運ぶのだ。
それだけでも立派に行軍訓練になった。

孤立している分、訓練キャンプなどよりよほど過酷といえた。

彼らはまた、大量の銃弾を消費して射撃訓練を実施した。
訓練が終わるころには、オマルとハキムですら、
20m離れた的に銃弾を命中させることができるようになっていた。
ムラトは隊の狙撃手で、彼だけはドラグノフ・スナイパーライフルを所持していたが、
その他のメンバーはAK-47を持っていた。
ハフェズは、アサドとウマルはRPG射手として訓練していた。

夜になると、オマルとハキムが教師となり、
ハフェズやムラトといった、他のメンバーも含めて全員が円座となり、
ムスリムの教義の勉強を行った。
これを免除されるのは、アダウラだけだった。

講義は、そもそもイスラム教徒としてどうあるべきかではなく、
これから彼らが向かう地において、(彼らから見て)信仰の薄い人々に対して、
どのようにして真の教えを浸透させていくか、に主眼が置かれた。

そのため、彼らはシーア派教徒なのだが、教徒の多くが占めるスンニ派の教えを
広めるやり方を取ることにした。

これは巧妙かつ賢明な方策のように思えた。
しかも、それを考え出したのは、イスラム戦士としてはまだ新米の
オマルとハキムなのである。

そう考えると、アダウラはまた誇らしい気分になった。


アダウラは、バグダード近郊の古都クテシフォンの近くで生まれた。
父は陸軍軍人で湾岸戦争時、左官として戦い、戦死した。
父が死んだとき、アダウラは15歳だった。
彼はいま、50歳になろうとしていた。

大した教育はなかったが、故郷はクテシフォンが近かったこともあって、
歴史を学んで育った。バビロンの遺跡にも何度も行った。

それだけに、故国を踏みにじむ欧米の行為は許せなかった。

部隊指揮官のハフェズは、年齢なら35歳で、故サダム・フセインと生地は同じ、
ティクリートだった。彼の父も軍人だったが、多国籍軍との戦いで命を落としていた。
ハフェズにはリーダーになる出自が揃っていたのだ。

狙撃手ムラトは32歳で、北部タル・アファルの生まれ。
羊飼いの息子で、羊の群れを害獣から守るのに、ライフルが必要だったらしい。
成人してからは、外国軍との戦いの場に身を置いた。

新人のウサマは南部バスラの出身で、商人の息子とのこと。21歳。
同じく新人のアサドは最年少の20歳。ハトラ出身で、貧しい家庭だったらしい。

隊の頭脳、オマルとハキムは、どちらもバグダード出身。歳も同じで22歳。
オマルの両親は医者で、ハキムも裕福な出だった。
教育を受ける地盤があったわけだ。


彼らは、アフガニスタンのタリバンあたりがやっているような、
女には教育を受けさせない、とか、運動はさせない、とか
そんな野蛮なことを広めるつもりはなかった。

あんなものは政治の素人が行う政策だ。
だから、国際社会の反感を買うのである。

第一、目的は信奉者の獲得であって、趣味の社会の確立ではない。
あのような政策は、彼らの目的とは関係がないのだ。

基本的には彼らの唯一神アッラーの絶対的な信仰。
そのために他の宗教は排除することになるが、
そもそもコーランにあるように、何も殺す必要はない。
あくまで、相手が挑んでくるわけでなければ、わざわざ戦争をする必要はない。

例えコーランであっても、現代社会に照らして通用しない施策が、
受け入れられるわけがない・・・

とはいえ、多少の衝突はあるだろうし、そのためにはもともとイスラムのコミュニティが
基盤としてあるところでないと、成功しないだろう。

...とが、計画に先立ってアル・アフダルとアダウラが合意した内容だった。


ではなぜ今、このような訓練を行っているのか?
上のような大骨子があるのなら、まったく不要な行いではないのか?

ところが、そうはうまくいかないであろう、というのがアダウラの懸念なのだ。

古代から、宗教対立は凄惨を極めた。

アメリカの戦勝後政策が、日本ではうまくいったのは、
あの国は仏教、あるいは自然崇拝が主だったからだ。

イラクやアフガニスタンでうまくいかないのは、
これらの国がイスラム教国であって、
異なる一神教であるキリスト教的なアメリカ思想を受け入れられないからなのだ。

これがわからないものに、統治ができるはずがない。

それだからこそ、あえて彼らは極東のイスラム教地域を選んだのではあるが、
そうであっても、西側に毒された世界だ。

必ずひと悶着あろう、というのがアダウラの予想だった。

極論をいうと、テロまがいのことを2,3はしなければならない、と考えてはいる。
そうなると、アルカイダ・タリバン・彼らの同胞であるISの大多数と変わらないので、
それはできれば避けたいところだった。

なぜなら、結局はそれではうまくいかないだろう、ということがわかっているからだ。

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