Blog in Bangkok@Thailand DVD&movie(映像)
■2018年5月29日:NHK 家族たちの”インパール”
最近、たまたまミャンマー人(タイ在住ゆえタイ語が話せる)の知り合いができたこともあり、
インパール〜イラワジ会戦の資料を漁っていたところ、
2/11のことだったが夜中に起きた際にTVを付けたとき、
多分、再放送だと思うのだが見てしまった。
番組の内容的には犠牲となった方達かわいそう、かわいそうで中身がなく、
これで何を後世に伝えたいというのか分からない内容だったので、
ここでもう少し切り込んでみたいと思う。
このアパートに2年住んでいるが、NHK以外にも一通り日本の
TVチャンネル(いわゆる1〜12チャンネルみたいの)が映るとは知らなかった。
いやそもそも、TVの付け方すら最初分からなかった(受信装置を先に操作する方式)。
それで、インパール作戦だが、インドのインパールを地図で見ると、
ネパール予備軍みたいな山岳地である。
熱帯の山岳地だ。
来たことがない人は分からないが、タイのちょっとした山を上るだけでも汗だくである。
それを、さらに過酷な地形を装備を背負って戦いながら越えるのだ。
今と違って病院に行けば簡単に予防接種を受けられるような時代とは違う。
そんな熱帯病の予防措置も何もない状態で、兵たちは山越えした。
ここを、攻める日本軍は登るのである。
兵力でも劣っている。
それも、目的は援蒋ルート遮断という、自らの補給・兵站の悪さは棚に上げて、
何がしたいのかわからない、どうでもいいような作戦である。
端から勝負にならないことは見えていた。
インパール作戦の日本側の行動。 参加兵力は第15軍の第15・31・33の3個師団 総兵力は約90,000人。+インド兵数千人。 これでおよそ15万人のイギリス軍と戦った。 第2次大戦は機械化の時代だった。 剣や刀で戦う時代と違って、銃や砲による威力の増大には 目を見張るものがあったが、それをさらに歩兵と砲兵ばかりの 構成で日本軍は挑んだのである。 制空権がない時点で間違っている。 これでは兵を殺すために軍を編成したようなものである。 |
日本軍第15軍司令官 牟田口中将。 インパール作戦を指揮したが、本人は現場におらず、 簡単にいうと「電話で指示した」程度の無責任な作戦指導だった。 戦後、本作戦に関して敗北責任を感じる旨の弁論をしていたが、 元連合軍将校らの本人の能力的には肯定的な反証がされるにつれ、 自己弁護に走った。 別に現場にいなくとも、その方面の指導力があるのなら、 それでもいいのである。 但し、多くの日本の将校が現実を直視できなかったのと同様に、 彼はそうではなかった。 本人は「責任」という日本語の意味を理解していたのか疑われる。 反省は猿でもできるゆえ、弁解の余地はない。 そもそも、一丁前に責任を負うことはすれども、 失敗するとこれまた恥をかくことを潔しとしないがために、 責任の所在を明確にできないことが、 日本人のもっとも忌むべき欠点なのである。 |
これは写真を撮ってから消してしまったのだが、ある軍医中尉が 持っていたという、水上少将の名を記した札。 |
水上少将の肖像 ミイトキーナの防衛戦を指揮。 上からの命令は死守だったが、配下に撤退を命じた後、自決した。 自決する勇気はあったが上奏するだけの分別はなかった。 また、当時の日本社会にもそんなざっくばらんな 話ができる風土・土壌はなかった。 |
ミイトキーナの戦い インパール戦後の連合軍の反攻作戦。 |
当然だがインパール作戦は日本軍がぼこぼこにされて終わった。
海戦の話でレイテ沖海戦について、戦後の日本の評論家が
「無理の集大成であり、そして無理は通らないという道理の証明に終わった」と
評価したらしいが、本作戦はいわばその陸上ヴァージョンだ。
第2次大戦の日本は装備についても補給についても情報についても何もない中、
「日本人は神の子だから強い」との意味不明なお題目のもと、
当時の政府幹部の卓上ゲームのために多くの人間を死なせた。
さらに軍指揮官も牟田口のような無能な指揮官の、
作戦も何もあったものではない状態で、兵は犬死させられた。
まさに無理・無駄・無謀が3拍子揃っており、まともな計画がなく
脳内空想のみで精神論だけだと早晩こうなるの実例。
独断で撤退した第31師団長の佐藤中将が残した、
「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」
という言葉は現場証言である。
むしろ本作戦のみならず、日本という国全体がこの戦争で滅びなかったのは、
文明化された国際社会の恩情であって、
古代であれば能無し指導者に率いられた国家はことごとく滅びた。
これが、第2次大戦の日本側実態であって、
当時の日本は、自分の足元すら見えていなかったのだ。
宗教は、人を狂信化させる。
その人の性格が純粋であればあるだけ狂信の度合いも深くなる。
キリスト教徒とイスラム教徒が殺し合うのは、お互いに一神教かつ唯一神であり、
互いの信仰を認めないからであり、ユダヤ教徒が迫害されたのはその度合いが強いからであるし、
さらに加えて地理的状況、選民思想のような特殊事情があるからである。
仏教は修行の宗教であるから、他者を排斥する性向は少ないが、
世界大戦期の日本の場合、ある種古代ユダヤ人の政体に近い、
天皇を頂点とする神権政治のようなものを敷いていた。
要するに天皇だか神だかの地位を政略に利用したわけだ。
つまり、政教分離できていない、という現象であり、
政治学的に言えば、理想の政体ではないということだ。
幸い現代日本人はこの種の厄介ごとに無縁だが、
それは、我々の先祖が2度の大戦で懲りているからである。
我々は、先祖の代から知らず知らずのうちに教育されているのだ。
当時の日本は、上から下まで天皇万歳で凝り固まっており、
戦後、今まで洗脳されていたことにいやでも気が付いた先達が、
アメリカにガミガミ言われたにせよ、悔い改めたというわけだ。
歴史にifは禁物である。既に起きてしまったことだからだ。
しかし後世の人間は過去を掘り下げることによって学ばなければならない。
わかりきったことだが、当時の指導者層が違ったら、
日本は戦争に走らなかっただろうというのは自明である。