■2016年6月12日:スターリングラード
久しぶりに映像部ブログページとのタイアップ・企画にてお届けする。
(実際の相手記事はこちら)
映画の小説化という試みは良くあるが、
本作の場合、Aが映画の脚本で、@が原作に当たる。
映画はこの手のものとしては、珍しく感動した。
ご存じのとおり戦争映画というのは、感動するというより
心に刻まれる、或いは深く考えさせられる、といった印象を受けることが多い。
その点で、「スターリングラード」はうまく娯楽作品として成功したと言って良いだろう。
小説の方は、私の評価ではよく言って「佳作」である。
何分凄腕の小説家の小説を山ほど読んでいると、
なかなか、史実を題材とした物語は、構想が難しいものである。
さて、物語は題材を赤軍の実在の狙撃手ヴァシリ・ザイツェフと
彼が戦った特徴的な激戦、スターリング・ラード攻防戦に採っている。
対するドイツ軍の狙撃手はハインツ・トルヴァルト大佐(あるいはケーニッヒ少佐)。
但し、この人物の存在そのものと、ザイツェフとの対戦は虚構かもしれないと言われている。
つまり、その逸話そのものが物語、あるいは伝説のようなもので、
ザイツェフその人の軍功を称揚するための作り話である可能性もあるということだ。
そして、ザイツェフの恋人、ターニャ・チェルノヴァに至っては、
映画と小説オリジナルの創作で、ロマンスのための設定だ。
物語にヒロインがいなければ票が付かない。
もちろん、ソ連赤軍にはハンターが小説で取り上げたように、
女スナイパーは実在したし、それどころかエース戦闘機パイロットまでいた。
”鼠”というタイトルは一見奇妙だが、言い得て妙である。
狙撃手は、”匍匐前進”という言葉にあるように、地面を這いずり回って
お互いを狩るからだ。
本作では、そんな東西のその道のエキスパートが、スターリングラードの激戦地で、
地味ながらもしのぎを削って神経戦を渡り合う。
微妙にフルシチョフやパウルスといった政治家や将軍も登場するが、
全体の戦史としては少々不親切である。ご一読される前に
前述のウィキペディアにて予習されることをお薦めする。
蛇足だが@の脚本の方に柘植 久慶が解説を載せているが、これはいらない。
こいつはウソつきだし、彼がモシン・ナガンやKar98を射撃したことがあるかどうかなど、
どうでもいい。
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