■2024年11月30日:つばさの血戦
原題:タイトルと同題 (1967年日本) | |
著者:檜與平/1920-1991 日本生 | |
文庫初版:1967年10月18日 | |
第7刷時価格:1970年10月2日 500円 | |
巻数:単巻 | |
品番: | |
管理人読了日:2024年8月14日 | |
映画化:未 | |
映画題名: | |
映画主演俳優・女優: |
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日本語DVD化:− |
義足のエースとして知られる檜與平少佐の著書。
ナコン・サワン滞在中に読んだ。
少佐は陸軍戦闘機隊の名門、飛行第64戦隊で加藤建夫少佐の指揮のもと、
ビルマで死闘を繰り広げ、惜しくもP-51の射弾で右脚をもぎ取られ、腿から下を切断。
想像を絶する努力の末、義足で再び戦闘機操縦者に復帰する。
その様は他の書物では詳しく書かれていないが、
本書では療養は地獄のような苦しみであったことが、
あますことなく書かれている。
本書にはビルマにおける戦闘機隊の死闘が生活のことを交えて全て書かれている。
加藤建夫中佐の最後も詳細されているし、
同僚黒江保彦少佐のことにもページの多くが割かれている。
「空中用便」の項は笑い無くしては読めない。
そして、陸軍が海南島を使用していたとは知らなかった。
檜少佐は右脚切断後は明野の飛行学校で操縦訓練性の指導の傍ら、
五式戦を駆って出撃し、P-51を撃墜までしている。
明野にはビルマからの留学生の訓練生もいたらしい。
また、戦闘隊精神なるものについてもしきりに述べられており、
いわく息の根のつづくかぎり戦う、という心根のことなのだそうだが、
現代人に足りない根性のことだろう。
この時代の人には頭が上がらない、というのが正直なところだが、
襟を正して生きていきたいものである。
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