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■2024年7月20日:ああ、隼戦闘隊

クリックして拡大  原題:ああ、隼戦闘隊 (1967年日本)
 著者:黒江保彦
     1918-1965/日本生
 文庫初版:2010年9月23日 光人社NF文庫
 初版時価格: 895円
 巻数:単巻
 品番:くN-17
 管理人読了日:2024年5月15日
 映画化:未
 映画題名:
 映画主演俳優・女優:
 
 日本語DVD化:−
 

涙なくしては読めない一冊である。

著者の黒江保彦氏は、陸軍の最終階級は少佐。
屈指のエースパイロットで、
最終撃墜数は穴吹 智曹長とともに2位に並ぶ。

作品は数多の空戦譚に及ぶかと思いきや、
戦友の最期を淡々と語る口調で、悲哀に満ちている。

坂井三郎の著書とは真逆である。
あちらは大空での生き残り方、空に生きる男の生きざまが書かれていた。


少佐は支那事変からノモンハン、太平洋戦争と従軍し、
現役時代の大部分をビルマ戦線で過ごし、生き残った。
終戦時は福生の陸軍航空審査部に在籍していた。

航空審査部とは、以前渡辺洋二が航空ファンで連載していて、
文庫本を見つけたので今度読むつもりだが、
ありていにいうとテストパイロットの部署である。

とはいえテストパイロットとは元来腕のいい人たちだ。
日本の場合、本土まで攻め込まれているから、
審査部のパイロットも防戦に出ることは少なくなかった。


少佐が現役時代、多くの時間を過ごしたビルマだが、
若い人だと知らないかもしれないが、政変でミャンマーと改名した。
88年のことだったので、私はよく覚えている。
政変でいえば数年前にもとんでもないクーデターが起きたことでも知られ、
要するにいつでも政情不安定な国だ。

日本は太平洋戦争でなし崩し的にタイに居座り、
ビルマに侵攻して、インドを通る中華民国への連合軍の補給ルートを遮断しようとした。
ところが日本の指導層は現在もそうだが現実を見ようとしない。
まずい作戦と連合軍の物量に戦局はあれよあれよと日本不利に傾き、
その結末を史上有名なインパール作戦で締めくくる。

少佐はこのインパール作戦の発動直前に審査部に転属となった。


歴史を読むうえで忘れてはならないのは、その時代を知ることだ。
今でさえ露助が侵攻しているウクライナ戦争はアホなことだ、
と日本人なら誰でも感じているだろうし、
当時も他国から見れば日本の行動は主権外国家への侵略と映ったからこそ
アメリカをはじめとする国々から戦線布告されたのであるが、

日本国内の事情でいえば、当時は対外戦争の風潮でもあったのである。
もちろん国が世論を操作した、という見方はできるだろうが、
勘違いしないで欲しいのは、例えば志願した場合でも、
参加した兵士たちをとがめることは我々にはできないと思う。

歴史上、例えば他の国、古代ローマのカエサルが
あの時はゲルマン人の大移動に対抗するためであったから、
ローマの立場から見れば大義名分もあったが、
異国で勝ち戦を続けるカエサルのもとに、志願する若者は絶えなかったのである。


話を戻してこの本でも、前半の中国、ノモンハンでの戦場では、
勝ち戦でもあったことから、少佐もなんとなく楽しそうな雰囲気が伝わる。

ビルマに行ってからのエピソードは、苦難の連続だ。

そんな中でも、いくつかの楽しい話は載っている。
ビルマにて、後続として進発した少佐は、
先行する部隊が既に敵編隊と空戦中というので、焦って合流したのだが、
待っていた部下の隼が、近寄ってきて案内するからついてこいと旋回を始めらしい。
見に行くと、海面上に油が広がっていたそうだ。

あきれた少佐は思わず叫んだという。
「なんだ・・・落とした地点などオレに見せなくてもいい、はやく集まれ!」
飛行機乗りというのは、概して茶目っ気のあるものなのだ。


黒江少佐は空戦の腕もさることながら、
メカニズムに対する造詣も深く、審査部に配属される所以ともなった。
一方で部下に対する温情の他、豪放磊落なさっぱりした性格として知られ、
慕われる人柄で、私も乗機を再現したくらいだ。

最後はまだ若くして海で遭難という何とも残念な終えられ方をした。
まったく惜しい人を亡くしたと思う。


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