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■2021年10月19日:スパイ小説の世界へようこそ U- 3

5

幸せいっぱいの五十男やコニーと違って、ヌラディンはストイックな日々を過ごしていた。

バグダード国際空港で、外から見たことはあっても、飛行機自体を利用したことがない
ヌラディンとアリーは、二人ともその威容に驚愕していた。

ジャワリとリドワンは、1日遅れて出発する予定だった。

特に、免税店などはアリーから見たら、アラビアン・ナイトに出てくる
王侯貴族の屋敷のように見えた。

中の化粧品など、一つ買うのにアリーは何カ月働けばいいのだろう、と目をみはった。

ヌラディンも表情には出さなかったが、内心驚いていることでは一緒だった。
なんと退廃的なことか。


空港での処理の仕方や時間の過ごし方は、
アダウラから事細かに聞いていたので、問題なかった。

旅の工程は、まずバグダードからカタール航空便でカタールのドーハへ行き、
そこからさらに同じカタール航空の便でドバイへ。
次にエミレーツ航空便でインドネシアのジャカルタに行くのだそうだ。

その後のことは、現地の細胞から教わるのだという。


バグダードはともかく、カタールやドバイはさぞ自由主義勢力によって
汚染されているだろうと思うと、ヌラディンは気が滅入った。

ヌラディン自身は、コーランを読んで瞑想する時間を、こよなく愛していた。

アリーは、そうではなさそうだった。
あちこちに目をやっては、嘆息をついている。


ヌラディンは心の中でため息をついた。
この計画は、まだ何を行うのか知らないが、
彼ら3人の若者に足を引っ張られることは間違いない。
下手をしたら失敗するだろう。

ヌラディンはISの上層部の考えがわからなかった。
あるいは、もっと何か別の重要な計画を欺瞞するための攪乱なのか。

もしそうだとしたら、ヌラディンは躊躇わず降りるつもりだった。
大義が果たせないのなら、意味がない。

ISがどうのこうのなど関係がない。
ヌラディンは、自分の信念自体は、はっきりしていた。
自爆テロなどはごめんだ。

そんなことにこのヌラディンを使うような組織なら、
キリスト教徒側に鞍替えする方がよほどましだ。

アッラーは自害せよとは言っていない。


ドーハまでの旅は、距離も短いので、順調だった。
アリーは無神経な若者らしく、飛行機に乗るたびに寝ていたが、
ヌラディン自身は考えることが多すぎて、ずっと起きていた。

機内で食べ物や飲み物を配る、”客室乗務員”という
けばけばしい女性たちが、目障りで不愉快だった。
女性とは、人前であのように振舞うものではない。

ドーハからドバイに着いてからがまた問題だった。

ドーハがドバイに迫る勢いの大都会だというのは聞いていた。
しかし、ドバイの威容はそれを上回る。
都市というより、まるで宇宙基地のようだった。

殆ど半日空いてしまうので、よくいる空港内のベンチで寝ている旅行者に
扮すればいいものを、アリーはドバイのきらめく電飾に胸を打たれたようで、
何か見つけるたびにいちいち立ち止まってしまうのだ。

ヌラディンはアリーの耳元でアッラーフ・アクバル、
任務を思い出せ、と囁いてアリーを我に返らせるのだった。


ドバイからジャカルタまでの機内が、
飛行時間が長くてまいった。

アリーは相変わらずの無神経ぶりを発揮して、ここでも寝ていたが
(それこそ類まれな能力だとヌラディンは思った)、
ヌラディンは一時間ごとにうつらうつらの繰り返しだった。

機内で酒を飲んでへべれけになっているアラブ人がいた。
(服装はムスリムのものだった)
けしからんことこの上ない。

ヌラディンは教義に従って処罰したい衝動にかられたが、
そんな目立つ行動がとれるはずもなかった。


ジャカルタに着くと、ヌラディンとアリーはタクシーで南ジャカルタ市へ行き、
ホテル グランディカ イスカンダールシャーにチェックインした。

取り決めでは、ジャワリとリドワンは同じブロックのアンブハラ ホテルに
泊る予定なので、夜の20:00きっかりにヌラディンとアリーはホテルを出て、
右に少し歩いたところにある陸橋に上り、下の通りを眺めているふりをする。

ジャワリとリドワンはアンブハラ ホテルを出て逆に右に曲がり、
歩道上のゴミ箱にゴミを捨てるふりをして、お互いの存在を確認する、
という手はずだった。

ヌラディンとアリーが投宿したのは深夜に近く、
残りの二人が到着するのは翌日の同時刻の予定だったので、
邂逅はヌラディンとアリーの到着から二日後の計画だった。

ジャカルタは治安が悪く、例えイスラム教徒同士とあっても、
お構いなく盗人がいるので気を付けろ、と言われていたので、
ヌラディンとアリーは、二日間何をするでもなく、無聊をかこった。
目立つ行動は禁物なので、なるべくホテルを出ないようにしていた。

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二日後、2つのグループは邂逅した。
陸橋の上と下の歩道で、彼らはお互いに気が付く程度に、うなずきあった。

このあとは、翌日の日中に、市内のとある旅行代理店に行き、
そこで自らは偽名で名乗り、(従業員の)何某氏がいないか訊ねろ、と指示されていた。
雑居ビルの1Fにある店で、見た目は新聞社のようだった。

社内に某氏はおり、狭い店内の一室に案内された。
男は四十過ぎで、どこのものとは分からないスーツを着ていたが、
身なりはしっかりしていた。
たばこの匂いが染みついた部屋だった。壁は真っ黄色だった。

「あんたらは今夜、船に乗る」
某氏がぶっきらぼうに言った。

それはまた急なことだ。
ヌラディンはいい加減うんざりしてきたが、
ISの作戦とは常にこのようなものだ。
着いた先で、次はどうしろと指示される。
一度にひとつずつだ。

船に乗る場所と、細かい時刻などを指示された。

「船はどこに行くんだ?」

「乗ったら教える」


夜、ある時刻になると、4人はホテルを出た。
当然だが、きちんとチェックアウトしている。
金を払わない方が、後で怪しまれるものだ。

ジャカルタ湾に面したふ頭で、世闇に紛れて船に乗る予定だった。
そもそもぐちゃぐちゃな港なので、彼らがどの船に乗ろうが、
誰も気にしないはずだった。

目印は、緑字に白で染め抜いたイスラムの旗だという。
旗など、どの船でも掲げていそうなものだが、
船体に書いているものはあれども、旗は意外とないらしい。

果たして、言葉通り船は見つかった。
木造船で、塗装はかなり剥げており、控えめに言ってもぼろぼろだった。
ヌラディンは見たことはないが、
北アフリカの難民を乗せて地中海を渡る難民船というのは、こういう船なのではないか?

嵐にでも遭って、転覆しないかどうか心配だった。

但しヌラディンは知らなかったが、この船は元は観光船を改装したものであり、
漁船ではないので20〜30人は楽に乗れる大きさがあった。


乗り込むと、乗員は殆どが東南アジア系だった。

「ラー イラーハ イーラッラーフ(アッラーをおいて他に神なし)」
ヌラディンは思わずシャハーダ(信仰告白)の一部をつぶやいた。

「ラー イラーハ イーラッラーフ」
他の乗員が返事をするように返してきたので、ほっとした。

「この船はどこに行くんだ?」

「タイ」

「タイのどこだ?」

「着けばわかる」

「武器はどこで手に入る?」

「さあ、我々は聞いていない」

終始そんな感じだった。

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タイまで一週間くらいかかるとのこと。
船がぼろいので船足が出ないのだそうだ。

他の3人は平気だったが、揺れるため、アリーが何度も吐いていた。
船の乗組員が気の毒そうにヌラディンを見た。

「お守り、ご苦労だな」

「岸が近くなったら、RIB(複合艇、ゴムボート)に乗り換えてもらう。
二人乗りだ。練習する暇はないが、うまく乗らないと転覆するぞ」

同じ乗組員が言った。

「そんなもの、どうすればいいんだ?」

「コツはスロットルを開けすぎないことだ。
スピードを出さなければ、転覆する危険も少ない。
車と同じさ」


食事は、乾パンと、タンパク質は魚を釣って、調理した。
野菜はなかったが、一週間くらい我慢しろとのことだった。

大小便は海に垂れ流しなので、
その方が便も出にくくなって一石二鳥なのだそうだ。

航海中は、幸いなことに嵐や時化には遭わなかった。

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