Blog in Bangkok@Thailand DVD&movie(映像)
■2019年3月13日: CLEOPATRA (1963)
エリザベス・テーラーの死は、
まこと人類の巨乳財産の喪失だった。
それは蛇足で、本作品は長編だがファルサルスの会戦後から始まる。
歴史上の出来事は概ね史実通りで、
カエサルとアントニウス、オクダヴィアヌスの戦いと、
この3人に絡んでくるクレオパトラとのドラマが描かれている。
舞台装置は古代情緒豊かで、一見の価値ありだが、
細部はストーリー重視に改変されている。
まず、カエサルは史実通りプレイボーイとして描かれているが、
癲癇の発作の真実性は疑わしい。
そして、カエサルはクレオパトラと結婚はしていない。
皇帝になることも望んでいない。
まずもって彼は自身の野望で王になりたかったわけではなく、
単に統治政体として、帝政がときのローマには相応しいと信じていただけである。
この時代、そもそも皇帝という言葉どころか概念もなかった。
皇帝という言葉は後世の後付けである。
西洋人はカエサルが嫌いというが、
本当にそうなんだな、と苦笑した次第である。
キリストが生まれる前の時代のことだから、
カエサルはそんな影響は受けていないはずである。
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私はDVDで観たゆえ、
前半と後半できれいにカエサルとアントニウスに分かれている。
アントニウスなんてカスなのに・・・
のちの真打ち、オクタヴィアヌスが病弱で寝込んでいるのも再現されている。
アクティウムの会戦でクレオパトラとアントニウスが敗北するのも同じ。
そしていつの間にか帝国になっている。
アグリッパはおっさんで提督だし・・・
しかしリチャード・バートンも食わせ者の役をやらせたら天下一品だ。
感動したのは、最後に出てきた蝋板とペン。
古代は、紙がなかった(パピルス紙も羊皮紙も大変貴重だった)ので、
その代用に蝋を貼った板の上から、ペンで引っ掻いたのだ。
古代には、文字を表すのにも苦労した。
石に刻んだりしていたのだ。
現代は、パソコンでも携帯電話でも、いくらでも文字で記録できる。
あまつさえ、本作品のように、イメージまで記録できるようになった。
感覚的に、古代に文字を残すのと、現代の電話やメールを書くのとは、
同じではなかったか。
我々は、文字を書くにも、もう少しひとつひとつの文字を
大事に噛みしめて、表したいものである。