■2017年3月19日:「ローマ人の物語」及びスペシャル・ガイドブック
原題:タイトルと同題 (1992-2007年日本) | |
著者:塩野七生/1937- 日本生 | |
文庫初版:2002年6月1日~2011年9月1日 新潮文庫 |
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価格:19,970円(44冊合計) | |
巻数:43+1巻 | |
品番:し12-52~93,50 | |
管理人読了日:2016年2月5日〜8月21日 |
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映画化:未 | |
映画題名: | |
映画主演俳優・女優: |
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日本語DVD化:− |
スペシャル・ガイドブックだけはタイの紀伊国屋で買った。
346THBだった(当時のレートで約1,000円)。
本編の1〜43巻までは、Amazonで買ったのだが、
Amazonでも楽天でも、「全巻セット」という表示が出るのでそれを選んだところ、
「ただいま購入できません」とのことでAmazonで単品で買った。
どうもこの全巻セットというのは、全巻セットがあるのではなく、
1〜43巻までをワンクリックで全巻まとめて発注できますよ、という意味らしく、
品切れの巻があると買えなくなる仕組みのようだった。
ところが、1年以上経ってから調べるとAmazonでコンプリートセットというのが売られている。
どうも(2011年の発売)よく分からない。
本書は各巻の表紙に主にローマの硬貨をあしらっている。
(最初は古代ギリシャのものだった)
先の刊行であるハード・カバーはローマ時代の偉人の像だったのだが、
教養のない私はこの硬貨群を見て思った。
「何で金貨が少ないのだろう」
現代の硬貨や紙幣でもそうだが、通貨に表現されるその国の偉人は、単なる自慢ではない。
これは偉人だけではなく事績もあるが、貨幣のデザインは宣伝のための情報公開の手段なのである。
だから、古代には広く流通する銀貨や銅貨への皇帝像や事績の表現が多かったのだ。
その方が、より庶民への宣伝効果も行き渡る。
これにはなるほど、と唸った。
しかしこのことに気付いている人は意外と少ないのではないだろうか。
古代ローマ、あるいはローマ帝国というのがいつの時代の国のことなのか
ピンとこない方のために、講釈をざっと述べておく。
今のヨーロッパ世界というのは、ルーツは古代ギリシャ文明に始まって、
アレクサンドロス大王がペルシャやシリア、エジプトを併合したが
彼がおっ死んだあと、ディアドコイ(後継者)戦争を経てマケドニアは弱体化する。
そしてハンニバル率いるカルタゴに勝利して大国化したローマは、
きかんぼのマケドニア、ギリシャ諸国を属州化。
さらにポンペイウスがエジプトを、カエサルがガリア(フランス)を属州化し、
後の皇帝たちがイングランドまで属州化するが、
紀元後に入りローマ域内への蛮族(ゲルマン人)の侵入が盛んになり、5世紀には西ローマ帝国は滅亡。
その後ゲルマン民族はフランク王国(フランス)や神聖ローマ帝国(ドイツ)といった国を興し今に至る。
東の方は、ササン朝ペルシャ、後にイスラム帝国によって徐々に領地を減らしていき、
最終的にはオスマン帝国により東ローマ帝国は滅ぼされる。
オスマン帝国は第一次大戦後まで生き残る。
これが大まかな趨勢である。
だから、今の西洋人というのはみんなゲルマン民族である。
イギリスはケルト人・アングル人・サクソン人・ノルマン人等の血が混じっているが、
これらも全てゲルマン民族の一派である。
当然だが純血のローマ人など残っているわけがない。
そもそも北極圏や東方のステップなど極寒の地域に住む苦労は分からないでもないが、
今でこそ勝者の余裕として大義名分化しつつある、
後にキリスト教化したゲルマン民族の歴史は侵略の歴史であり、
同じくムハンマドの名のもとに南東から北へ西へ侵攻したイスラム勢と衝突しないわけがなく、
両者の言い分は昔からどっちもどっちなのである。
後世の人間が先人たちの歴史から学ぶことは多いが、
もっとも重要なことは、先人の過ちを繰り返さないようにすることである。
これは塩野七生も言っている戦争という人間史上最大の悪業もそうだが、
プロセスを振り返れば防止できるのだし、防止できることは予防すべきだ。
現代世界の指導者達にこの傾向が読み取れないリーダーは多い。
西欧諸国が自由社会の代表であることに異議を唱える人間は
自由社会に生きる我々の中にはいないと思うが、
イスラム諸国に中国や、最近だとタイやフィリピンといった西欧の文明圏から遠い
国々の指導者に、そういった傾向が多いように思える。
無学なのかと思ってしまうが、多分、そうなのだろう。
この意味では、我々日本人でも、遠いローマの歴史を学ぶ価値は十分にある。
何しろ、ローマは日本の縄文時代に、既に共和政だったのである。
日本語の”帝国”や”皇帝”という解釈は、中国の歴史というか学問によるところが大きく、
西欧系の言語とは意味合いが異なる。
ローマで”皇帝”を意味した言葉は”アウグストゥス(直訳は「尊厳ある者」という意味)”で、
ローマの元老院が初代皇帝オクタヴィアヌスに贈った尊称だが、
アウグストゥスという言葉に”皇帝”という訳をあてているのは日本人(だか中国人)なのである。
そして塩野七生はローマ世界の「帝国」という意味は、多民族で多宗教で使用言語も多という国家である。
これを古代人は、帝国と呼んだ」としている(文庫版第12巻p15)。
「大日本帝国」など、猿の惑星と同レベルなのである。
その辺からして、当時の日本人の政策は、誤っていた。
というか、年寄(当時の指導者層)によくある傾向だが、傲慢だったのだろう。
ローマがなぜ滅んだかについて、
日本のどこだかの大学の理事が本書の感想文を載せている。
「一言で言えば、自分達の生活を守る危険な仕事(国防)を、
お金を使って他人に任せた(傭兵)ことです。
豊かになったために、それを失いたくないという思いが人々に蔓延し、
基本的なモラルが低下していったためと受け止めました。
今、二千年の時を超えて、歴史は繰り返すのかという危機感に襲われています」
自らが国家事業(建築)に携わっていることをほのめかしたかったのだろうが、
こいつはあほだ。
まず、ローマがなぜ滅んだかの原因を述べるのに、
自分がどう受け止めたかなど関係がないだろう。
次に、
塩野七生は、別に本書の中でローマ滅亡の原因など述べていない。
彼女の作風は、私が詳述するので一緒に考えましょう、というスタンスだ。
当たり前だ。古代ローマの人間が今でも生きているわけではないのだし、
史蹟など僅かしか残っていないのだから、ローマ滅亡の原因など誰にもわかるはずがないのである。
著者は後世の人間が過去の偉人の業績を取り上げて批判することが嫌いである。
よくいう「言うのは簡単」というやつで、歴史は歴史、過去は過去であって、
歴史とは激動の人間社会の集大成なのだから、同じ時代に生きたわけでもないのに、
史蹟しか残っていない事項に関して後から赤の他人があうだこうだ言うな、というわけである。
いや、考えたり思いを巡らせたりするのは自由だが、それは自分自身で消化すべし、ということだ。
塩野七生のすごいところは、相手が何を考えていたのかをよく考えているところである。
彼女の場合、相手といっても既に死んでいる人物で、しかも古代の人間であったりすれば、
史蹟に頼る以外に相手を知る方法はない。
相手を知るということは、人間社会に於いて最も重要なことである。
単に書かれている文章の意味するところではなく、
行間にこめられた執筆者の意思を理解しなければならない。
学校のテストでよく「出題者の意図を読め」と言われたと思うが、そういうことなのである。
それを、理事である大学教諭ができていない。情けない限りだ。
さらに、国防を傭兵に任せたからローマは滅亡したわけではない。
もしそうだったとしても、なぜ国防を傭兵に任せたからローマが滅亡したのか、
モラルが低下していった、では説明になっていない。
そもそも、傭兵軍となったのは末期であるし、そこまでに至る1千年ほどの時代は
どうであったのかというプロセスの方が大事だ。
ローマをかばうとすれば、最後の2世紀ほどは西は蛮族に東は大国ササン朝にあれだけ攻められ、
傭兵軍に頼らずにどう凌げというのか。
確かにそれは付け焼刃であったかもしれない。
しかしながら、戦争状態にあって、先のことを考えた戦略など、
コンピューターも携帯電話もない時代になかなか考えられるものではない。
常備軍は強力かもしれないが、一旦壊滅してしまえば再建までに時間が掛かる。
であれば、傭兵軍に頼るしかないわけで、そういう理論でいくと、
他勢力からの圧迫がローマ滅亡の直接原因といえる。
仮にローマ滅亡の原因を「人々の基本的なモラルの低下」によるとするのであれば、
なぜモラルが低下したのかもあるし、「基本的なモラル」とは何のことを言っているのかもわからないし、
単にこの場合はローマの滅亡に限った話で、
「二千年の時を超えて、歴史は繰り返すのかという危機感」に結びつかず、
わざわざそんな決め台詞をかました意味がない。
第一、今の世界に軍の主戦力として傭兵を採用している国家などないので、仮説として成立しない。
理事がこれだから学生の質が落ちるのだし、むしろこの男が大学を受け直した方がいい。
だいたい、学校教諭など学校しか見ていない。
外部との接触といっても、せいぜい学会などで他の学究との交流がある程度だろう。
そんな人種に世界が見えるわけがないのだ。
ローマ滅亡の原因について、当然一つではなく多くの要因があり、
「形あるものは壊れる」「国家にも人間と同じで寿命がある」
で済ませるには忍びない、ということで著者が著したのが本書である。
一言で言えば、コンクリート屋にローマ滅亡の真因などわかってたまるか、という感じである。
現代に生きる我々には、君主政だったから、と考えたくなる部分ではある。
君主政国家で長続きした国などない。
ローマがそのわりには長続きしたのは、単にローマ人が法の民であり、
システムがあったからに他ならない。
しかしながら、現代の国家にしても、例えば20世紀の覇権国家はアメリカだが、
アメリカという国は上院議会がsenate(ラテン語で元老院の意)と呼ばれるところからも、
比較的古代ローマのシステムを模倣している国で、
合衆国大統領と議会の関係は、ローマ皇帝と元老院の関係に近く、
国家元首が有権者投票であるという点でローマ時代よりは進化している、
と本書の著者は書いている。
アメリカは、戦後日本やイラクでも滅ぼさずに同化路線を採っている。
韓国やベトナムでも勝てなかったのでできなかったが、
その後の両国との関係は良好である。
イラクでは成功しなかったが、
そもそも、敵であったゲルマン人が、このようなことに及んでいることからして、
古代ローマ人の考えというか政策の「寛容さ」の精神の妥当性は
後世から見ても十分有効だという、何よりの証左でもある。
あえてローマ滅亡の原因を考えた場合、大きく分けて3つの要因があると思う。
1.外敵(蛮族の侵入やササン朝の脅威)
2.皇帝始め帝国の指導者層の腐敗
3.キリスト教の浸透
このうち、1.については既に述べた。
次に2.についてだが、
ときどき誤解されている方もいるが、カエサルは終身独裁官であり、ローマ帝国の皇帝ではない。
(皇帝になる前に暗殺された)
しかしながら悪人ではなく志高き人であり、国家指導者として理想の人物であったことは
古今東西誰もが認める事実だ。
そんな人がなぜ帝政を敷こうとしたのか、についてだがローマの帝政への移行は、
新しき(当時の)ローマ世界は拡大しすぎたため、国民の意見を多く反映しようとした共和政
(共和政ローマの統治システムは選ばれた人々が構成する元老院より執政官を毎年2名選出し、
その人たちがリーダーを務める元老院が法案を起草し市民集会にて決定する、というものだった)
では統治しきれなくなる、とした先見の明によるものであった。
但しそれは、良き指導者に恵まれれば、という話であって、
ローマの歴代皇帝の中には人格者もいれば、わけのわからない人間もいたのである。
当然だがそんな人間に国家運営ができるわけはないから、
そのような皇帝が1ダースも続けば帝国は滅びるのである。
君主政の国家にとって重要なのは、指導者の資質だが、
皇帝は選挙で選ばれるわけではないから、毎回優秀な人間が就くとは限らない。
もっとも、共和政だって上述の理由によって当時はもとより、
殆どの国家が採用する現代でも、汚職だのなんだの問題がないわけではないから、
一概にどちらがいいとは言えない。
カエサルが撤廃しようとしたのは、この元老院が汚職や賄賂によって意図的に
懇意の人物を執政官に選出したりしていた、元老院政のシステムであったのだ。
要するに著者が作中何度も書いているように、組織の動脈硬化現象なのである。
西ローマ帝国の衰退など、官僚機構の堕落に他ならなかった。
4〜6世紀にかけて殺された忠臣スティリコとアエティウス、左遷されたベリサリウスに対する
当時の帝国の能無し首脳陣の行動を読んでいると、指導者層の腐敗ぶりには情けなくなってくる。
「ローマ人の物語」の、最終3巻はこの3人の将に捧げられた書になっている。
いかに良い組織でも、世襲であろうとなかろうと、
日本が戦後の高度成長期を経て安定化し、今ではヘタレてしまっているのと同じように、
古代でも、100年も平和が続けばだらけてくる。人間とはそういうものなのである。
国だけではない、会社でも、人間の生体組織でも同じ。
あらゆる組織というものには、寿命があるのである。
重要なのはそれをいかに先延ばしするかであって、
その努力の結果、ローマは長期にわたって存続できたのである。
最後に3.である。
キリスト教の台頭もローマ滅亡の一因ではある。
ローマは元々古代ギリシャから続く多神教の民であったが、
325年のニケーア公会議からそれまで疎んじられてきたキリスト教にも光が当てられ、
以前は何度か弾圧の憂き目に遭ってきたキリスト教だったが、
以後はその他の宗教の方が弾圧され気味になる。
一神教は他の宗教を排斥する性格を持っている。
古代ギリシャやローマの彫像で、鼻がもげていたり首から上がなかったりするのは、
何も事故や戦災で失われたのではない。
偶像崇拝を禁ずるキリスト教のもとで、破壊された痕なのだ。
それで、キリスト教国の王は、
神によって統治ないし支配の権利を与えられた君主という位置づけになっている。
教会の方が、王より位が上になってしまったのだ。
現代でこそ政教分離が叫ばれているが、古代では、文字通り宗教が統治の道具にされていたのだ。
いわゆる「王権神授説」だが、ニケーア公会議を開催したコンスタンティヌス帝が元祖であったのだ。
まどろっこしいと思われる方のために、コンスタンティヌスは、自らの地位の確立のために、
キリスト教の権威を利用したというわけだ。
聖パウロは説いたそうである。
「各人は皆、上に立つ者に従わねばならない。なぜなら、われわれの信じる教えでは、
神以外には何であろうと他に権威を認めないが、それゆえに現実の世界に存在する
諸々の権威も、神の指示があったからこそ権威になっているのである。だからそれに
従うことは、結局はこれら現世の権威の上に君臨する、至高の神に従うことになるの
である」(文庫版第37巻p121)
ローマ軍は末期になるまでは市民軍だった。
それが4〜5世紀に於いては、ローマは紀元前のマリウスの軍改革以降の志願制を捨て、
徴兵制に移せざるを得なかった。兵が集まらなかったからである。
しかしローマは国家であって、歴代の執政官、皇帝には国家を防衛する義務があった。
上に立つものとして、国家滅亡の原因を市民のモラルの低下に
求めるわけにはいかないのである。
市民のモラルの低下も、指導者の市民に対する指導の問題であるからだ。
それは難しいと思われるかもしれない。それはそうだろう。
だからこそ皇帝と呼ばれる価値があるのだ。
いいことなさそうなキリスト教だが、古代には、救いの主となったのである。
多神教の神々は、分業制であったことからも、救済型の神ではない。
それに対して一神教の唯一神は全能とされていたのだ。
この時代、蛮族の侵入が相次ぎ民は気が休まる時がなかった。
軍隊も役に立たず、多神教の神々に祈願しても効果ないと分かれば、
キリスト教の唯一神にすがるというのは、それなりの希望があったのである。
ローマでは、皇帝の暗殺や誅殺が相次いだ。
今に蛮族は退治するから、といっても敗戦していては説得力がない。
ローマの皇帝は専制君主ではない。あくまでも、元老院と市民が認めた上での君主であったから、
うかうかしていると皇帝でさえ暗殺されなかったのだ。
これは現代に生きる、特に我々日本人のように不信心者には、
予備知識なしに考えても絶対に理解できない。
当時のローマに生きた人々の視点に立って考えぬ限り理解不能、と塩野七生も述べている。
度重なる蛮族の侵入を受け畑を耕作しても略奪され、いつ殺されるかもしれず、
身内も拉致される危険に脅かされるような時代。
キリスト教の勧誘は十分に魅力があったのである。
この世に生を受けたものは、全て死が待っている。
しかし夢のない言い方をすれば、死の後の無の世界は誰にも分からない恐怖を持っている。
そこで、一神教の布教者に死後の幸せな世界の魅力でも説かれれば
(或いは不信心者は地獄に落ちると説かれれば)、
上述のような状況に追い込まれた人間にとって、キリスト教は受け入れやすかったのだろう。
死の直前に洗礼を受けた皇帝もいるほどだ。
確かにキリスト教は蛮族にも浸透し、結果的にヨーロッパをまとめたかもしれないが、
その後のゾロアスター教・イスラム教との対立を生むことにもなった。
私には目に見えないものを信じるという人たちの気がしれないが、
感覚的に、心霊写真を好む人々と、同一感覚なのかもしれない。
ローマにおいては、いわしの頭を祭ろうとそれはその人の勝手だが、
共同の場では多くの人々の信じる神々を祭ろうではないか、
という概念だったのだ(文庫版第34巻p180)。
三現主義という言葉がある。「現場・現実・現物」という意味で、
宗教から出た観念ではないが、現実主義者から見れば、神頼みはいささか非効率である。
そんな脱線をしている暇があったら、もっと他に大事なやるべきことがあるだろう。
何しろ、聖職者は戦うわけでも耕すわけでもないのだ。
(ローマの多神教には専門の祭司階級はなかった)
カエサルの言った言葉で、著者が一番気に入っている言葉は、
「人間は自分が見たいと思った現実しか見ない」
だそうだが、私も同感である。
そして、この言葉を自らも肝に銘じている。
本書は盛者必衰の象徴でもある。
諸行無常の哀感を知る者だけが、歴史を味わう歓びも知るのである。
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