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■2021年5月5日:スパイ小説の世界へようこそ 4

10

「お父さん、さてはあの女の人に惚れたな」

クラブから降りてくるエレベーターの中で、
ノトが五十男を冷かした。

「そんなことはいい。
それより、そのお前の講師とやらに会う必要がある」

「えぇ〜、そんなの無理だよ」

「なぜだ?」

「すっごく忙しい人なんだよ」

「そんなことは知らん。
こっちの方が急いでいるんだ」

「お父さんは何を急いでるの?」


五十男は考えた。

ふむ。
息子にどこまで話して良いか。

・・・話せることなどあるはずがない。

エレベーターがロビー階に着いた。


とりあえず電話機のSIMカードを捨てる頃合いだ。
彼は歩きながらそれをやった。
これで残りは1枚。


「お前のその講師というのは、何の講師なんだ?」

「AIだよ」

ふん、なんだコンピューターオタクか。
工学だから、そういう関係が出てくるんだな。

「なに人なんだ?」

「え?知らないよ、シンガポール人じゃないかも」

「歳は?」

「うーん、わかんない。30は過ぎていると思うけど・・・
なんでそんなこと聞くの?」


「なぁ、ノト。
お前が受け渡しをしている手紙だが、中身は何が書かれているか、
考えたことはあるか?」

「ううん、全然」

「・・・
考えてもみろ、まっとうな内容だったら、わざわざ回りくどいやり方で
誰かと文通するか?」

ノトはしばらく考えている様子だったが、やがて言った。

「わかった、お父さん。
あの講師はもしかしたら悪い人かもしれないってこと?」

五十男は息子の知能を疑った。
大学は一体何を教えているんだ?


「でもお父さんはそれとどういう関系があるの?
お父さんの仕事の関係?」

どうでもいいことだけしつこいやつだな。
五十男は適当にあしらうことにした。

「そうだ。
お父さんの地球クリーンナップ事業に影響してくるんだ」

「何それ、意味わかんないよ」

「わかってもらえなくて結構だ。
とにかく、オレがその講師に会えるような構図を考えてくれ。
親との三者面談なんかないか?」


「そんなのないよ。
それより、とりあえずキャンパスに来てみればいいじゃん」

「バカをいうな。オレは学生じゃない」

「そうじゃないよ、ウチの学校はオープンキャンパスだから、
誰でも入っていいんだよ」

「なぬ、なんだそれは!?
それじゃその学校のセキュリティはどうなっているんだ?」


「セキュリティ?」

おっと、またやってしまった。

ノトが不思議そうな顔をしている。

息子とはいえ、普通の人間にセキュリティもくそもないのだ。
彼らが気にするのは、
せいぜいスマートフォンのウィルス感染くらいのものだろう。


「とにかく、お父さん急ぐんなら明日にでも来てみたら?」

「そうするかな」

ノトが自分の財布から、折りたたんだラミネート加工された地図を渡してくれた。

大学の地図だ。

「これは?くれるのか?」

「うん。僕らはいくらでも手に入るから」


なるほど。
地図をひろげてみて仰天した。
こんなに広いのか。

「なになに、スターバックスにサブウェイ?
なんだこれは!?」

「学校の中の施設だよ」

確かに。
敷地内に、病院もあれば博物館もあるし、レストランもある。
これはまるで・・・米軍基地みたいだ。

いや、さかのぼれば古代ローマの軍団基地か。

NUS地図1 NUS地図2


「何時に来る?
待ち合わせしようよ」

「いや、いい。
お前の邪魔しちゃわるいからな」

「そう?
迷っちゃうよ?」

五十男は大丈夫だよ、と答えて、
そろそ息子を帰すことにした。

彼は大学の方向に帰るのだ。
タクシーで帰るという。

五十男は、30ドルほど息子に渡してやった。


11

次の日、五十男はMRTに乗ってNUSに向かった。

息子にもらった地図によると、ケントリッジという駅が、
大学内の病院で降りれるようになっているというので、
そこまで行くことにした。

距離はやはり遠く、パンパシフィックのあるプロムナード駅から、
たっぷり30分以上電車に乗っていた。

病院に着くと、病院内を通って
指示表示に従いながら表に出た。


外に出たとたん、言葉を失った。

ここは学校や病院というより、ひとつの都市だ。
日本のどこかの羽振りの良い企業の敷地内のように、
区画整理され、学校内をバスが走っている。

バスが走っているのは知っていたが、
狭い車内で顔を見られるのがいやだったのだ。
刺客に襲われた場合に、逃げる場所がない。

鉄道なら、少なくとも離れた車両に移ることはできる。


この広大な敷地の中で、ターゲットをどうやって探す?

ノトから聞いた話では、そいつの名はエンゲル。
セカンドネームは忘れたらしい。
ずぼらな息子らしい、と五十男は思った。

息子の言では、欧米人ではないか、とのことだが、
それはそうだろう。

エンゲルと言えば、おそらくつづりはANGEL、
つまりアングロ−サクソン、アングル人だ。


とはいえ、そいつが名札でも付けていればともかく、
顔もわからないのに探すのは至難の業だろう。

いや・・・
ここは大学だ。
案外IDカードのようなものでもぶらさげているかもしれない。

まずは、工学だからエンジニアの学部の方へ向かおうか。


さあ、とっちめてやるか、と考えたところで、
ターゲットを悪人という前提で考えていたことに五十男は気づいた。

いかんいかん、メッセージの受取人なのだから、
今のところ彼はこちら側の人間だ。

袋小路に入り込むと、人間は厄介ごとを悪い方向に考えがちだ、
気を付けねば。

既に10時近く、授業があるところは始まっているのだろう。
人影はまばらだった。

とはいえ、観光客然とした人間も、ちらほら見かけた。

これなら、自分も見とがめられる恐れはないだろう、と五十男は満足した。
とはいえ、あまりきょろきょろしていると、職員に呼び止められる恐れがあるので、
不自然に見えないようにしなければならない。


かなり歩いたと思えるころ、左手にセブン・イレブンが見えてきた。
ほれ、ショッピング街のお出ましだ。

ここはStudent Service Centreと書いてあり、
具体的な施設の機能はわからないが、
とにかく五十男には用のないところだ。

そこを過ぎると、旋回場のようなところに出て、
違う学部の入り口なので、迂回してさらに右に進んだ。

いい加減汗をかいてうんざりしてきたころ、目指す「Engineering」の表示が見えた。


地図を見ながら通りを歩いて行ったが行き止まりになってしまった。
行き止まりというか、既に校舎だ。

学生ではない五十男は、これ以上先に進めない。

地図上にコーヒーのマークがあるところでも、
目の前には校舎しかない。

要するに、カフェがあっても、校舎内にあって、
学生用の施設なのだろう。

途方に暮れて校舎を眺めていると、横手から声が掛かった。


「おじさん、何してるんです?」

え...?

最悪のパターンだ。
学生らしき青年が五十男の方を見ている。

但し、不審がっている風ではなく、
面白がっているような表情が浮かんでいた。

「博物館なら、逆方向ですよ」

五十男は地図を持っていたので、幸いなことに観光客に見えたのだろう。
彼は学生が出してくれた助け舟に乗ることにした。

そうだったね、ハハハ、と下手な英語で言い訳しながら、
後ずさりした。

観光客と見てくれているなら、芝居も通用するだろう。

果たして、学生は追いかけもせず、警察に通報したりもしなかったようだった。

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博物館には寄らずに、ケント・リッジ・クレセントを左に出て、
タクシーを拾ってホテルに戻った。

ホテルに着くと、五十男は自然とパシフィッククラブの方向に体が向いている
自分に気づいた。

いかんいかん、バカかお前は、と自らを戒めた。
あんなところに行ってどうする?
そんなにコニーに会いたいのか?

そこで、そうはせず、3Fにあるアジア料理の店、Edgeに向かった。

時刻も、既に11時を過ぎていた。
少し早いが腹ごしらえしよう。


Edgeでは、点心のセットと、ラクサ(麺入りカレー)を頼んだ。

点心は、海老入りの水餃子、蒸し餃子状のもの、豚まんなど、
5点のセットで、うまかった。

ラクサも、辛かったが食べれないことはなかった。

腹ごしらえを終えると、五十男は部屋に入ってシャワーを浴び、
ベッドの上に転がった。


いや、今日はほとほと疲れた。
暑い中ずいぶん歩いたし、まったく収穫がなかった。
しかも、やっと正午を過ぎたばかりだ。

ホテルも航空券も翌日の午後にしてある。

とりあえずここで一回帰らなければならないだろう。

その前に、今晩もう一度例の日本食店の旧友に会って、
情報収集した方がいいだろう。

そう考えて、五十男は昼寝しておくことにした。
もうこの歳だ。無理がこたえるころだ。


12

17時に起きよう、と予定して、
きっちり17時に目覚めた。

この分だと、今晩寝れなくなりそうだが、
今日の相手は半分夜の商売だ。

仕事の話ができるのは看板をはねてからになるだろうから、
望むところだった。


21時ごろ、店主の店に入っていった。

五十男の姿を認めた店主は、少し驚いたような表情になったが
彼もプロだ。すぐに元の表情に戻って、板前の仕事に集中した。

22:00過ぎに、まだ飲んでいる他の客を追い出して
店を看板にした店主は、五十男が座っている席にやってきた。

「まだいたのかい?」

五十男は特にいつタイに帰るとは言っていなかった。
彼は店主に顛末を全て話した。

嘘もつかなかった。
長年の友人だ。
嘘をつく必要がどこにある?

但し、パシフィッククラブのウエイトレスの話はしなかった。


「エンゲルねぇ、聞いたことはないな。
写真もないんじゃな」

店主は大学講師だという、コンタクトについてそう評した。

「しかしあんたの息子も絡んでいたとはな!
オレは、何か変だと思ってたんだよ」

「何が変だと思っていたんだ?」

「あんたと息子さんが知らずにこの店で待ち合わせしたことさ。
どっちかが知ってて選んでるんだと思ってたぜ」

「まさか。そんなことはない」

やはり、店主に聞いても何もわからないか。
彼は今回の作戦では、どちらかというとターゲットの方の情報を
収集するのが役目だ。

「邪魔したな。
また来るよ」

「いつ帰るんだい?」

五十男は明日だよ、と告げると、店を出て行った。


翌5日目、五十男はタクシーでチャンギ国際空港に向かった。
空港に着くと、残り1枚のSIMカードを電話に挿して、
息子に電話すると、タイに帰る旨を告げて、電話を切った。

SIMカードは空港内のその辺のゴミ箱に捨てた。

復路のシンガポール航空機内にて、
フライトは支障なく、未解決事案に対する
憂鬱だけが五十男の頭を満たしていた。

今回の件は、納得いかない事柄が多すぎる。

なぜ彼の雇い主は下手人(コンタクトがそうだとして、の仮定だが)のことを知らない?
さらに、なぜそのコンタクトは彼の息子を知っているという偶然の元、使いに選んだのか?

考えてもわからない謎を抱えた五十男を乗せた飛行機は、
夕刻、タイのスワンナプーム国際空港に着陸した。

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