にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

戻る

仏歴の正月に当たる4月中旬のソンクラン休みに、Nakhon Sawan県の
Mae Wong/Mae Lehというところに旅行してきました。

Bankok(Bangkhunthian)
↓5時間 乗用車
Nakhon Sawan(県)
↓1時間 乗用車
Mae Wong(郡)
Mae Leh(村)
↓1時間 乗用車
Lat Yao(町)
↓5時間 バス
Bangkok(Mo Chit)
※所要時間はあくまでだいたいです。


行きに待ち合わせしたスーパーにて、馬を発見。街路樹の葉を食いまくっています。


この車に9人乗りました(内1人は子供)。


ナコーン・サワーンのバス・ターミナルにて。深夜1時位だったかな?


土産物屋。右側にナコーン・サワーン特産「モジ」という饅頭が積み重ねられています。
あ〜あ、そんなくそ美味くもないものを何個も買うなよ。。。


ナコーン・サワーンのバス停脇の屋台。スルメはその場で焼いてくれ、
大きさで15,20,25Bと値段が分かれています。私は20Bのを2枚も食べてしまった。
美味かった。ここで食べたスルメの味は忘れない。


着きました。メイウォン(着いたのは前の晩)。


ここに泊りました。


上写真の家の内部。蚊帳なんて日本人には見たこと・聞いたことはあっても
実際には馴染みが薄いもの。電灯は蛍光灯1本。
電気製品はTVとDVDデッキ各1台のみ。エアコンなんてあるわけない。
最後に泊った晩に、電気を消してみんなでさあ寝よう、としていた時に、
「向かいの家の連中がフットボールを見に来るから鍵は掛けなくて良いよ」
え・・・? 私は耳を疑いました。だって、寝るんでしょ?

・・・そして12時を過ぎたころ、本当に来ました。しかもドタバタと喧しく。
私は信じられませんでした。だって、恋人同士2組が並んで寝てるんですよ?
頭に血が昇りやすい私は予定通り頭に来てしまい、外に寝に行きました。
(結局、お客さんが遠慮して寝れなくなっちゃうから、ということで窘められ、
フットボールの観客は出て行ったので、無事に部屋に戻れました)


トイレ。流石に女性世帯なので紙が置いてありました。
水洗ですが水は流れません。桶からたらいで水をすくって流します。


トイレがある建物の反対側がお風呂。お湯は出ません。シャワーも無いので、
蛇口からちょろちょろこぼれている水を水桶(桶と言うか槽ですね)に溜めておき、
水桶からたらいで水をすくって使います。


あちらに見えますのは小屋ではなく、れっきとした家です。


上写真の家です。朝になると戸を開けます。
この付近の家の習慣として、23時までにはだいたいどの家も消灯して、
朝7時には皆起きます。朝ご飯は9時か10時。
お昼は食べず、15時かそこいらにおやつを食べます。


地域的な習慣なのか、国全体の風土なのか分かりませんが、
家族・親戚が隣近所に集まって住んでおり、例えばご飯を食べる家、
TVを見る家、というふうに目的別に一つの家に大勢が集まります。
但し、寝るのだけは自分の家のようです。
まるでNHKのドキュメンタリー番組で見る貧しい国のようです。
まあ貧しいのですが。日本の50年代みたいな感じです。


唐辛子をすり潰しています。


タイ人は皆例外なく、本名の他にニック・ネームを持っており、
本名で呼び合うことはまずありません。ニックネームは、大抵の場合親が与えますが、
近年、「クン(海老)」ちゃんが急増しました。
で、写真の二人は双子なのですが、右が「エー」で左が「ビー」だそうです。。。
こいつらはフットボール事件の犯人。


1泊だけ泊まったvilla。ご厄介になったご家族から「リゾート」だとして
太鼓判を押されたのですが、中国系の宿泊客がおり、
夜中までドンチャン騒ぎをしていて敵わなかった。
灰皿も石鹸もタオルもゴミ箱すらなく、
状況はバリで泊まったvillaより数段悪かった。セキュリティに問題があり、
金庫の鍵は開かないわカーテンを閉めれば外から絶対見えないよ、
と言うので試しに外に出て見回ると、カーテンの隙間から中が丸見え。
結局髪を留めるピンでカーテンを留めて回りました。
というわけで、1泊で帰って来ました。料金は1泊500THB位。食事無し。


外がガタゴトうるさいので出てみると、隣のvillaの雨樋に
巨大なトカゲが。恐らく体長50cm級でしょう。
タイ人は女性でも虫類に強いのですが、流石に焦っていました。
(前日昼間遊びに行って泳いだ川で蛇が泳いでいたのですが、
なんと水を掛けて追っ払って、本人はそのまま泳いでいた)


villaにはレストランなど付属していないので、付近の食堂に電話して
持って来させた食事。極端に不味くは無かったですが、
多分普通の日本人には食べられないでしょう。

ソンクランは全国的に休日となり、約1週間弱、お祭り騒ぎに終始します。
大人から老人まで、親兄弟・赤の他人なりふり構わず水のかけっこをします。
子供は水鉄砲を与えられ、道路では通行人・車・バイク問答無用で
バケツやホースで滅茶苦茶に水をかけられ、専用の白粉を塗りたくられます。
さらにはアルコールも水を浴びながら同時摂取。
オープン・トップの車では間違いなくグチョグチョ。もちろん、そういう車に乗る人達は
大概の場合、わざわざそれを選んで乗り、ドラム缶一杯の水にポンプとホースまで
用意して、完全武装で臨んでいます。場合によっては道路が封鎖されており、
水浴びを頂戴しないと通して貰えないこともあります。まあ密閉型の車であれば
どうにもならないので、絶対通れないということはないのですが、
悪質なものでは通行料を取られる(10とか20B)ところもありますw
規模では首都バンコクが最高水準ですが、質は田舎の方が上。
私のような外国人に対しても、事前に両手を合わせて
お辞儀をした上で水の洗礼を与え、その後もキチンと握手をして、お礼を言います。
バンコクのセブンイレブンの入口が水浸しになっていたのには驚きました。
お寺ではお祭りが行われ、日中皆我を忘れて踊りまくります。
僧侶やお年寄りに水をかけるのは、罪ではなく功徳を積むことに繋がると
されるそうです(もちろんお年寄りや僧侶には手に垂らすくらいで、
さすがにフルパワーで水をぶっかける輩はいませんが)。
また対僧侶用には特別に用意される水(ある種の聖水)が無料で配られます。


立ち寄った先でホースから荷台に乗せた水桶に補給しています(他人の車)。


水をかけようと待ち構える人々。


車のガラス越しに水をかけられています。


何ご愛敬してんだコラ?
え、親戚? 失礼しましたw


朝ご飯。ゲンチュー(左。すまし汁)とカイチアオ(右。卵焼き)
苦も無く難も無くといったところ。


おやつに作ってもらった唐揚げ。おやつといっても皆さんビールを飲んでおり、
殆どおつまみなので味が濃かった。


夕方、バイクに2人乗り(もちろん無免許)してドライブ。
お巡り?そんなものいませんから(呼ばなきゃ来ない)。
この辺はお父さんから貰ったこの人の土地なんだそうです。
ナニィ...ってか広いじゃんかよ。。。


地元の市場。毎日開いているわけではないそうですが。
御同行の御姉妹の方もバンコクで露店を持っていらっしゃり、
お手並みを拝見させていただきました。
「カーイ(売る)ディー(良い)マイ(疑問詞)カ(丁寧語)?=売れ行きはどうですか?」
「カーイ(売る)ディー(良い)クワ(more)クンテープ(バンコク)=バンコクより売れるわね」
バンコク=英語 クンテープ=タイ語
日本人が日本をジャパンとは呼ばないのと一緒。

「あンた達、Tシャツ1枚49Bで2枚だから98Bね。
あンた達(別のカップルに)、Tシャツ2枚で148Bよ。
本当は1枚99Bなの...」
おかしいだろ、それw 平等に売れよw
「そンなことしてたら儲からないわよ」
おみそれしました。


私の好物、ゲーン・キオ・ワーン・ガイ(グリーン・カレー)用の
下ごしらえをしてくれています。


完成品。ココナツ・ミルクのまろやかさが効いていて美味かった(もちろん辛くない)
のですが、不味かったとしても食べてくれたから嬉しいそうです。
タップ・チャイ(プタップは押す、チャイは心=感動する)。


早朝、地元のお寺に行きました。


お寺詣りは夫婦もしくは恋人式に望みました(女がお供えをする際、男が女の手を握る)。
お相手は幸福そうだったので私も満足。


お参りが終わると、各戸が持ち寄ったお供え物の中から、
気に入った物を選んで持って来て朝食にします。
といっても殆どの家庭は食べずに帰宅したようですが。
ちなみに、我々は3,4皿しか持って来なかったんですけどね。。。


暖かいってことはないですよね。。。軽く30度越えてますから。
ってことはもしかして柔らかいとか!?(バーカ)


寺の裏手、僧侶の家@

この並びにお連れさんのお母さんの御墓が有り、一緒に参拝してきました。
ちなみに霊話の結果、お母様のお返事はOKだったそうです。
ってか他に墓なんて見当たらないんだけど。。。
あんたン家ってもしかして金持ち・・・?


僧侶の家A


僧侶の家B


お寺はちょっとした丘のようなところにあり、登ると眺めが良かった。


午後、今度は少し離れたところの御寺に行って来ました(バイクで)。
ここで後ほどソンクランのお祭りが行われるそうです。

外国人は間違いなく私一人だけ。


お寺のトイレ。今度は紙・水ともに完全に使えません。
私はすっかり慣れっこなので平気でしたが、
流石に観光で来た人だったら無理でしょうね。。。


こちらも僧侶の住居。
結構良い所に住んでますよねー...
そう思うのは私だけ・・・?


表通りでは相変わらず水のかけっこが続いていました。


何故だか知りませんが撮影してくれと頼まれて撮った、赤の他人。


放水車が出動してきて、おもむろに踊っている人達に水をぶっかけます。


雇われダンサーまでいました。
何で?こんなものいらないのに。。。
雰囲気がぶち壊しじゃん。


真ん中の女性が着ている黒いTシャツに書いてあるタイ語は、
「ヤーク(希望、要求を表す助動詞)ピアック(濡れる)」
つまり、「あたしを濡らして」Tシャツ。
彼女が日本語訳を知りたいというので教えてやりました。
わざわざアルファベットで書いてやって(笑
そして実際に言わせてみたのですが、私は大爆笑。
「それ、日本人の前で言わないでね(爆」
「???」
で、他にも時々日本語を聞かれたりするので、何故日本語を知りたいのかと尋ねたら、
「あなたのお母さんと話が出来るようになりたい」

なんという素晴らしい女性なのでしょうか。
・・・またしても罪悪感を感じてしまいました。。。


僧侶とお年寄りの列に水を掛けて回ります。
このシーンでも夫婦、もしくは恋人同士は水を掛ける女の手を男が掴んで支えます。
あるお婆さんのところで盛大に水をかけたので、何かと思ったら御親戚だそうで。
お婆ちゃん、お達者でね。


喧嘩沙汰が発生し、お巡りが出張って来ました。
当事者は神聖な場(お寺)を汚したとして追い出されます。


家に戻ってから、今度は家族で水のかけっこ。
仏像とお年寄りに皆で順番に水をかけます。
このお祭りでは、水をかけるのは歓迎と敬愛を示すものなので、
来客である私は集中攻撃を受けました。
ってか、その水瓶の水、下の方は水垢だらけだったぜ。。。@_@;;


晩御飯。半数は辛くて食べれない。


夜も更けたころ、若い衆が集まってタイ人お得意の怪談話が始まりました。
輪になって座って、順番に怪談をするそうです。ギターの効果音付き。


朝ごはん。唐辛子をすって下ごしらえ。
このすり鉢と棒は石なので結構重量があります。


前述のスパイスをベースに魚の切り身を炒めます。


さらにぶつ切りの魚の実を追加して、
製造工程を省いてしまいましたが、ココナツ・ミルクで仕上げをします。
(ココナツの実をすり潰し、手で揉んで網で濾してシロップを得る)


完成。ゲンチュー・プー(魚のカレー)。
左は激辛、右は辛くないバージョン。
ちょっとしつこかったですが、間違いなく美味かった。


帰りの経由地、ラット・ヤオのバス・ターミナル。
この写真の反対側には屋台の群れがありました。
ここで11:30のバンコク行きのバスが満席だというので、
次の14:00の便を待っていましたが、それが遅れて結局出発したのは16:30。
暑かったーー。


この白いTシャツに書いてあるタイ語は、
「ハーム(禁止)ピアック(濡れる)=水かけ禁止」。
概ね通用しますが、背中からかけられる場合は、
効果のほどは100%ではありません(笑


ラット・ヤオの屋台飯。全部で5,60Bでしたが、不味いのなんのって。
半分残しました。


脱水症状を起こしかけているワンコ。
この後、飼い主かどうかは知りませんが、水を貰っていました。


さて、今回相手に促されてですが、彼女のお父さんから結婚の許可を貰って来ました。
とても気さくなお父さんで、「オレは別に問題ないよ。
あんたはOKさ(2人が一緒に写っている写真を見て)。後は娘に聞いとくれ」
というわけで今は娘さんの決心待ち。

最初は、今回は単に娘が彼氏を連れて来ただけ、
というイメージだったのですが(彼女の妹も4年物の彼氏を連れて来ていた)、
2日目にクンヤイ(ヤイは母方の祖母。クンは敬称。要するに「お祖母さん」)に
一緒に会いに行って、目の見えない婆様に顔や手を触って貰いながら、
「これは誰だい?」
「この人と結ばれれば縁が良いよ。式はいつだい?」
「子供は3人作ると良いよ」
と色々お節介を言われました。
なんでも来る度に「恋人は出来たのかえ?」と聞かれていたそうです。
で、最終日の前日の晩に、彼女に「クンヤイと何を話したのかお父さんに言った?」
と聞かれたのです。
私の理解では彼女は私の気持ちが知りたかったのと、
私に親家族の前でそれだけぶちまける度胸というか
覚悟が決まっているのかどうか確かめたかったのでしょうが、
それを聞くのは愚問なので
(帰りのバスの中でやっぱりあれはそういうことだったんでしょ?と聞いたw)、
暫しの検討の後、「お父さん、話を聞いてもらえますか(笑」

何年も経って、
既に私は自分がこの時どんな言い方をしたのか覚えていないのだが、
ストレートに「娘さんと結婚させて下さい」と言ったそうで、
それが妻のご兄弟の方々
(お義父さんは2010年に亡くなった)
の間で豪胆な者として、語り草になっているらしいw


帰りに、車の中から実家に向かって「バイバイ」と言ったので、
誰か未だいたっけ(見送りに来なかった人が)?と聞いたところ、
「お母さんに言ったの」

私のお父さんとお母さんは未だ元気で生きています。
その話が悲しかったわけでも、
彼女の帰省に同行できたのが嬉しかったわけでもありません。
何故だかは分かりません。
でも家に帰って来てその出来事を思い出して、
少し泣きました。

Tweet



ページトップに戻る