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Blog in Bangkok@Thailand DVD&movie(映像)
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■2018年4月30日:GLADIATOR

塩野七生も絶賛(「ローマ人の物語」文庫版第30巻)のこの映画を、私も見てみた。

悪役のコモドゥスの俳優も、
良い感じでアルカディウス・ホノリウス顔を再現している。

皇帝のお気に召さずにお尋ね者にされた、というストーリー。
ローマには軍により暗殺された皇帝は何人もいたが、
このパターンはちょっと考えにくい。

軍団長に心酔していた軍団兵が軍団長を裏切るというのはあり得ないだろう。

終わり方も、一騎打ちではなく、子飼いの軍団を掌握して政権を倒す、
とした方が良かったのではなかろうか。


劇中に皇帝アウレリウスが「征服によって得たものは流血のみ」とつぶやくシーンがあるが、
根本的に、ローマが自ら侵攻して拡張した領土というのは少ないはずである。
ローマ側に侵攻してきた部族や勢力を、ローマが迎撃した際に、
相手の本拠地も叩いてそのまま軍団基地なり植民都市化した例の方が多いのである。

塩野七生も書いているが、他国の侵攻を受けて、とりあえず防衛ないし撃退しても、
相手の本拠地も叩かない限り、侵攻してくる勢力というものは、
また侵攻してくるものなのである。


とはいえ、歴史に”if”は禁物である。


では、本作のテーマは何であったのか。

前述のようにコモドゥス登位の謎解き遊びか。

皇帝コモドゥスは、剣闘士試合に自身も出場するなどうつつを抜かし、
(実際獣の皮を被った彫像がの残っているくらいである)
暗殺後記録抹殺刑に処せられている。

いわゆる「悪帝」だった。
しかし、古代の"if"をもてあそんでも、今さらである。

昨今の特殊部隊物と一緒で、現場で命を張るものの苦悩とはかなさ
を訴えたかったのであろうか。


クリックして拡大
「Gladiator」にて、剣闘士試合の観客に向かって、
「こんなの見て面白いか!?」と叫ぶシーン


それとも、人間の素質について言いたかったのだろうか。

本作ではコモドゥスと主人公マキシムスは、明らかに区別して描かれている。
片や将軍だろうと剣闘士だろうと、兵士なり民衆なりの喝さいを浴びるマキシムス。
一方のコモドゥスは陰湿で性格が悪く、いわゆるオタクな人物として描き分けられている。
それは、さながら光と影だ。

しかし、この作品を見ていても分かる通り、民衆の受けは何も戦闘に勝利することで
得られるわけではない。
性質として、民に好かれる人柄かどうか。
戦闘で勝利したマキシムスは、文字通り光輝いている。
そういう素質を持っている人物は、例え本来の自分とは違う姿であっても、
民衆を裏切るような行動をとってはならない。

部下や一般市民は自分に何を期待しているのか。
指導するべき人物は、民衆に進むべき道を示さなければならない。

それが理解できていないのがコモドゥスだ。
本作での彼は、自分の理想に酔っている。

一般に、むっつりスケベは嫌われる。
何を考えているのかわからないからだ。
オープンな人格が、民を率いる力に繋がるのだ。
そんなとき、マキシムスは光輝いて見える。

指導者に求められるべき素質は、古代でも現代でも一緒である。


冒頭の蛮族との戦闘シーンはよくできている。
歩兵が戦線を支えている間に、投石機と弓矢で敵兵を漸減し、
騎兵に後方から回り込ませる。

包囲戦の王道である。

テストゥドも実演してくれる。

時代考証はなかなかできていたようだが、

ピルム(投槍)を投槍として使っていなかったのはいただけない。


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