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■2021年5月12日:スパイ小説の世界へようこそ 5

13

五十男はバンコク市内のトンローという界隈のアパートに住んでいた。
郊外というに近く、日本人が多いエリアで、日本食店も豊富にある。

アパートに着いた日は、五十男は服を脱いでシャワーを浴びて、
当日はさっさと寝てしまった。

タイの首都のアパートのいいところは、警備員がいるから、
異変があればすぐに報せてくれるところだ。


ぐっすり寝た翌日、五十男はまずは旅に持って行ったLenovoのノートパソコンを出して、
押し入れからOSの入ったUSBドライブを出して、クリーンインストールを掛けた。

そして、それは放置しておいて、
別のノートパソコン、こちらはASUS製のLenovo同様にAMD CPU搭載のマシンを出して、起動した。
彼は昔からAMDが好きだった。

パソコンには、OSとメールソフトしか入っていない。
そして、使うたびにフォーマットしてしまうのだ。

こうすれば、くだらないセキュリティソフト等を入れるより、
よほど手っ取り早い。

起動したノートパソコンは、まずはシステムの更新が溜まっているから、
と譲らなかった。


五十男は舌打ちして今度は自作のデスクトップパソコンの電源を入れた。
これだけで、だいぶ電気代が上がるだろう。

五十男はそういえば、と思い出し、今月の家賃を払いに
階下のオフィスに降りて行った。

おフィスには、珍しくオーナーがいた。
このアパートのオーナーは、お姫様みたいな30歳くらいの美しい女性だった。

確か、5,6年前、結婚したとか?
元々は両親がオーナーで、この両親は娘に権利を委譲したのだ。

五十男は、こんにちは、と挨拶してオフィスの係の女性に
料金の支払い書と代金を渡した。

支払いは通常月1だが、五十男の場合など旅行していて月をまたぐようなときは、
予め連絡しておいて、翌月の分も前払いしておけば問題なかった。

オーナー女性は返事は返したが、そっけなかった。
マフアンとは親しくやっていたのだが、
五十男にはよそよそしかった。

馬が合わないのだろう。
人間社会だ。深く考えても無意味だ。


部屋に戻ると、デスクトップは起動していて、
ノートパソコン2台はまだ唸っていた。

五十男はデスクトップパソコンに向かって、メールソフトを起動した。

アドゥルから特に前置きなく会見を求める連絡が入っていた。
いつもこうだ。

内容は知らせず、指定の場所に通知書、依頼書を取りに行け・・・
しかし、今回は会いたいと書いているから、よほどのことなのだろう。


そのころには、ノートパソコン2台の処理は終わっていた。
五十男は、データを消去したLenovoの方に、メールソフトだけ入れておいた。

そしてそちらは片づけ、デスクトップに先ほどとは別のUSBドライブを出して、
こちらもOSの再インストールに掛けた。

そして、それは放置したまま、服を着替えて少額だけ入った財布を持ち、
アパートを出た。


アドゥルからの連絡では、迎えのものを寄越すから、
プルンチットとナナ駅の間のソイ ルアムルディーを歩いていろ、とのことだった。

時刻は、15:00くらい。
飯をご馳走してくれる気はないらしい。

タクシーでソイ ルアムルディーの入り口で降ろしてもらい、
狭い通りをぶらぶら歩いていると、BMWが通りかかった。

窓が開いて、名前を呼ばれたので気が付いた。

後部座席のドアが開いて、中にいる背広のタイ人から手招きされたので
乗り込むと、車は発進した。

車には、運転手と後部に一人タイ人が載っているだけで、
車の中にアドゥルはいなかった。

まあ、予想されたことだ。


目隠しされたりはしなかったが、同乗の男はどこに行くとは言わなかった。
車はそのまま15分ほど走り続け、
とあるタイの水準からすると、そこそこ裕福な街並みの通りで止まった。

途中、通過した寺などの風景から、五十男はフアン・ナコン通りら辺だろう、と推測した。
タイの官庁なども付近にある通りだ。

同乗の男が先に車から降りて、目の前の民家なのか商店なのかわからない
家のフェンスをガンガン叩いた。

おいおい、電子式じゃないのかよ。
これだからこの国は・・・

中から初老の庶民風の老人が出てきて、
もたもたと鍵でフェンスの鍵を開け、車の男がフェンスを開けた。
続けて、初老の男が家の戸を開けた。

予想されたことだが、戸を開けても、すぐに家の中に通じるわけではなく、
最初の戸は壁の戸に過ぎなく、家屋まで幅5mほどの中庭があって、
雑に芝生が植えられていた。

左右に目をやると、どちらの角にも私服姿の男がいて、
片方はタバコを吸いながら座っていた。

原始的だが、有効な監視手段だ。

先進国では人件費が高いから、センサーがどうのこうのとなるだろうが、
タイの場合は人員を配置する。

おそらく反対側にもいるだろうし、これだけ距離が離れているから、
火器を使わずに気付かれずに全て排除するには、
まあプロなら可能だろうが、至難の業だろう。

「こちらへ」
同行の男が五十男の名を呼んだ時以来、初めて口をきいて、
家の中へ招じ入れた。

彼を送ってきた車は、もう走り去っていた。


家自体は、LDKの現代風な家だった。
アドゥルは官僚だ。
純古式タイ風な瀟洒なところを想像していた五十男には、意外だった。

果たして家の中にはアドゥルがいて、白いテーブルの前の椅子に座っていた。
アドゥルの向かい側にもう一脚椅子があって、アドゥルは五十男にも座るように促した。

「やあ、きたね。
茶は飲むかね?」

「いただきましょう」

今まで気が付かなかったが、テーブルの脇がキッチンになっていて、
家政婦風の中年のタイ人女性がおり、五十男の分の飲み物を運んでくれた。

茶と呼ばれたものは、コーヒーだった。
アドゥルの分は、既にテーブルに置かれていた。


「回りくどいことをしてしまってすまない。
ここは我々の隠れ家(諜報組織が使う、重要人物をかくまったり、会見の用に供する家で、
通常は盗聴防止されていたり、安全が確保された状態になっている
)のひとつでね」

「察しはしていましたよ。お誂え向きのところだ」

「君に会うのは何回目かな?2回目?3回目?」

「3回目ですよ」

「シンガポールでは、ご苦労だった。
帰ってきて早々だが、また問題が発生してね」

なるほど、無断で延泊したお咎めがないのは、そういうわけか。
あるいは、1泊だけだから、大目に見られたか。

「何が起きたんでしょう?」


世間話をしていても仕方がないので、五十男は単刀直入に聞いた。

「昨日、作戦が行われた。結果は失敗だった」

「ほう」

それは意外だ。何が起きたんだろう?

「我々のコンタクトは、まあ作戦の実行役だったんだが、
ターゲットを始末する予定が、逆に消されてしまった」

おやおや、それは不手際もいいところだな。

「どういう状況だったのか、お聞かせ願えますか?」

「私も我々の実行役が、どのようなスキルを持っていたのかは知らないのだが、
空手で相手に挑んで返り討ちにあったらしい」

「武器は持っていなかったのですか?」

「ナイフを一本持っていたらしいよ」

「それで、どのようにしてやられたのですか?」

「ピストルで、ズドン、だ」

五十男は思わず笑いそうになった。
ナイフを持っていたとはいえ、徒手術で銃を持った男に挑むとは。
いまどき、まるで素人だ。


「もともと、背後から襲うとかそういう策はあったんだろうけどね」

アドゥルが続けた。

「敵の銃の種類は?」

「事後処理をした警察・病院からJIDが聞いたところでは、
9mm口径だというから、普通のピストルだね。
機種はGLOCK 17だったらしいよ」

ほほう、GLOCKとは。
しゃれた銃を使うじゃないか。

「シンガポール陸軍が使用しているピストルは、
シグ・ザウアーP226だというから、その線の犯行ではないね」

「あるいは、軍や警察から盗まれたものである可能性は低いと」

「そういうこと」


「コンタクトの素性はご存じない、とおっしゃっていましたよね?」

「うん、知らないね」

「コンタクトを選んだのは誰なんです?」

「それも知らないよ。上層部は知っているかもしれないけどね。
我々が知る必要ないことなんだ」

「作戦が決行された場所は?」

「ノース・ブリッジ・ロードの、ノース・ブリッジ・ガーデンで、夜だ」

「Golden Mile Food Centreの近くの?」

「そうそう、行ったことがあるかね?」

五十男はうなずいた。
ゴールデン・マイル・フード・センターは、
軍の払い下げ店があるところだ。


二人は同時にコーヒーカップを口に持って行った。

先にカップを置いたのは、五十男の方だった。

「それで、これからどうするのですか?」

「決まってるじゃないか。雪辱戦だよ」

「そんなにあせる理由は?」

「テロリズムの阻止」

「ターゲットはどんな種類のテロを計画しているのでしょう?」

「わからない。場所も規模も不明だ。
わかっているのは、東南アジアのどこかの国。
それでも、タイかシンガポールかその辺だ。
イスラム教国であるマレーシアではあり得ない」

「分かりました。
そこに絡んでくる私の役割は?」

「もちろん、もう一度現地に行ってもらう。
前回と同じ種類の仕事だ。
当然、交換所は変えるがね」

「いつですか?」

「明日だ」

本気か?昨日の今日で?

「不服かね?
君の好きなシンガポール航空のビジネス・クラスの座席を予約してある」


そう聞いて、五十男の頬が少し緩んだ。

それを見逃さないアドゥルではなかった。

「少なくとも空の上では楽しめると思うよ」

「直前に、よく予約が取れましたね」

「なに、政府機関の要請となれば、便宜を払ってくれるものさ。
今回は、連絡を取る日取りやなにかは、現地の君の友人の側に
ボールがあるから、着いたら彼のところに寄って、情報を得るように」


14

それで会見は終わりだった。
家の外に出て、少しすると彼をここに連れてきた車が再び現れて、五十男を載せた。

車は、さらに彼を拾ったのとほとんど同じ場所で降ろした。

さて、どうするか。
五十男は、次はシンガポールに単身乗り込むつもりなどなかった。

ことこの期に及んで、危険度がグンと上がった。
一人目の下手人が既に血祭りにあげられている。

アドゥルは匂わせもしなかったが、
同じ手を2度も使うとは、甚だ愚かしいことだ。

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五十男はソイ ルアムルディーを出ると左折して、
マハトゥンセンター(ショッピングセンター)に入った。

マハトゥンセンターでは、携帯電話しか売っていないような
小さな電気店で、サムソンの一番安い電話機(THB 2,600(約 \9,130))と、
SIMカード、100バーツ分のプリペイド式の通話チャージのカードを1枚、買った。

五十男はマハトゥンセンターを出ると、
次は右に進んで線路をまたぎ、プルンチットセンターに入った。
ここでも、電気屋を見つけて、SIMカードど、通話チャージのカードを買った。

五十男はその場で電話機の包みを開封し、SIMカードを入れて、
歩きながら電話機を起動して、電話機が起動すると少し立ち止まって
プリペイドカードのコードを電話機に入力した。

ゴミは、まとめてエレベーター脇のゴミ箱に入れ、
表に出てからとある番号に電話を掛けた。


「もしもし」

「トクさん、私です」

「あれ、○○さん!?
久しぶりですね!」

トクと呼ばれた電話の相手が、五十男を本名で呼んだ。
トクは、五十男がサラリーマンとして勤めていた会社の重役で、
五十男よりもいくつか年下だが、実力でのし上がった人物で、
五十男と直接ともに仕事をしたことはなかったが、
会社の組織上は上司にあたる人物だった。

それでも、世間慣れしたトクは、年上である五十男を
年ごろに遇してくれたため、五十男としてもまんざらな気分ではなかった。

彼は、今でもその会社に所属しながら、
広い人脈を利用して、コンサルタント業もしていた。

彼が紹介できる人間は幅広く、
それこそボディガードとか、武闘派の人物を斡旋することも、
できるかと訊かれれば、不可能ではない、といったところだった。

五十男がNIAからもらう報酬は、
殺しをするとなると別だが、用心棒を一人雇うことくらい、
問題にならない程度の額にはなった。


「トクさん、実は相談があって。
会ってお話したいんですよ。
それもできれば今晩とか」

「今晩ですか?
うーん、まあ不可能ではないですけどね」

「良かった。
じゃ、今晩20:00に」

五十男は強引に押した。
こちらの予定は決められているのだ。

「場所は?」

トクが観念した、という感じで訊いてくる。

「スクンビット16のロング・テーブル」

「分かりました」

トクが場所を復唱した。

「それと、この電話番号はもう使えないので、
予約しておきますから
なにかあったら店に電話して言伝してください」

「相変わらず面倒くさいですね」

そう言って電話を切った。
トクも忙しそうだ。


五十男はそのまま、一旦SIMカードを抜いて、
もう一枚買っておいたSIMカードに入れ替えた。
さらに、プリペイドカードのチャージも無効になっているはずだから、
それも新しく入れなおして、今度はロング・テーブルに電話した。

「はい、ロング・テーブルです」

「今晩予約したいのですが」

「お時間と人数をどうぞ」

「20:00に、二人です」

電話の向こうの係員が時刻と人数を繰り返す。

「はい、お席はございます」

「屋外席が良いのですが」

屋外席なら、風の音に紛れて会話も聞き取られにくい。

「少々お待ちください」

係員が確認する間、十数秒待たされた。

「大丈夫です。ご予約を承りました」

よし。
五十男は礼を言って電話を切った。


即座にSIMカードを抜いて、2枚のSIMカードを歩きながら
その辺のゴミ箱に捨てた。

電話機自体も、コンビニの前を通過する際に、
店の前のゴミ箱に捨てた。

タクシーを拾って、一旦アパートに帰った。

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ロング・テーブルは、ソイ アソークに入って、スクンビット16に左折したところにある、
Column Towerの25Fにあるタイ料理店だ。

五十男がタイに赴任してからできた店だが、もう15年はあるだろう。

安くはないが、味は良いし、屋外席にはなんとプールもある。


五十男はほぼ20:00に着いたが、
店員が伝言があり、お連れ様は30分ほど遅れていらっしゃるとのことです、と告げた。

五十男は待つから構わないと告げ、先に席に着いた。

屋外の、目の高さまでのアクリル板がガードレールのように囲んである席だった。

今は日が暮れてしまったが、日暮れ時に眺めるバンコクの街並みは、かなりおつなものだ。

まさかこんなところで襲撃を受けるわけはないので、
物思いにふけっていると、いつの間にか時間が経っていたようだ。

予告通り30分ほどして、トクがやってきた。


「すみません、遅れちゃって」

「いえいえ、こちらこそお呼び出しして申し訳ありません。
忙しいでしょうに」

二人は、まずはシーフードサラダを頼んだ。

五十男は水を飲んでいたが、トクはビールを注文する。
ここで二人が会うのは、五十男とマフアンが結婚する前のことだったが、
気配りの行き届いたトクが、そんなことを思い出したように言い出すわけがなかった。

二人はしばらく無言でシーフードを突いていた。

「相変わらず飲めないんですか」

トクにそう言われて、五十男は苦笑した。

「食べるだけでね」

料理は、無難なガイ・パット・メット・マムアン(鶏肉とカシューナッツ炒め)と
チューチー・プラー・ヒマ(タラを焼いてカレーソースを掛けたもの)を頼んだ。
これを白米と一緒にかき込む。

「このタラ、うまいですね」

「そうですね」

チューチーとは、カレーといっても、日本のカレーとはまるで異なる味付けだ。
甘辛い。とはいえ、しつこくない。


「それで、相談って何ですか」

料理を食べ終わって、ずいぶんくつろいだころ、トクが言った。
彼は既にワインを飲んでいた。
日本料理店であれば、焼酎を飲むところだろう。

「人を紹介してもらいたいのです」

「人ってどんな?」

「腕っぷしのたつ人間」

「場所は?どこで?タイ?」

「シンガポール。しかも明日」

トクがグラスから目を上げた。

「さらに武器も使えないといけない」

トクが目を剥いた。

「まいったなあ、それは高いですよ」

「値が張るだろう、というのは承知の上ですよ」

「用意はできますけど、彼を紹介してどうするんです?
あなたのボディ・ガード?」

「まあ、そのようなことを期待しているのですが、
四六時中そばに張り付いていられると困るんですよ。
私が連絡したときに、出動してほしい」

「あなたもシンガポールに行くんですか?」

「そうです」

「あなたへの連絡手段は?」

「ない。
ですから、むしろこちらがそちらの資産の方の連絡先を聞いておいて、
メールで指示するような形になると思います。
もしかしたら不要かもしれない。
そのときでも、任務終了の旨はお伝えします」

「連絡は僕にしてもらいたいですね。
僕からこちらが紹介する人間に伝えます」

「それで結構です」

「メールとか悠長なことを言ってますけど、
緊急に必要になる場合とかは考えられないんですか?」

「多分大丈夫だと思う」

「気を付けてくださいよ!?」

前にも彼のサービスを利用したことがあるので、
現在の五十男の仕事の種類をうすうす感づいているトクが、念を押した。

五十男は慇懃に礼を言って、二人とも立ち上がって握手した。
取引成立だ。

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