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■2021年11月4日:スパイ小説の世界へようこそ U- 5

7

ヌラディンはほとほとあきれ返っていた。
アリーは吐いてばかりいるし、
ジャワリとリドワンは仲が悪いことが判明したからだ。

釣った魚がどちらの取り分になるかで、言い争っていたのだ。
叱ってやりたいのだが、あまりそれをしていると、
そもそも指揮官である自分に対する忠誠が減じるので、
当面は放っておくことにした。

それで、うんざりしているのだ。


既に西側にはタイの陸地が見えていたが、
船上で、何日経ったのか分からなくなっていた。

麻薬の取り締まり等でタイ湾でもそこかしこで
砲を備えた警備艇がパトロールしており、
砲など食らおうものなら一撃でバラバラになってしまうような船なので、
巧妙に避けて航行していた。

「そろそろ降りてもらうぞ」

航海中、一番世話を焼いてくれた男が言った。

「いつだ?」

「今晩だ。
RIBを降ろしておくから、今のうちに慣れておけ」


派手に水しぶきを立てて、船からRIBが海に落とされる。
船に乗っている船員たちは、楽しそうだった。

実は、ここまで興奮にまかせてやってきたが、
ヌラディンは海など見たことすらなかったのだ。
他の3人も同じだろう。

船員に見よう見まねで教わりながら、RIBに乗り込んだ。
乗り移ったとたん、足が滑って転んでしまった。
危うく海に落ちそうになったところを、船員に腕をつかんでもらって助かった。

「前途多難だな」

船側から様子を見ていた先ほどの船員が、
笑ってそう言った。


とはいえ、ヌラディンも他の3人も、本番はうまくやった。
指示では、右手に岬が見えるため、そこに向かえとのことだった。

陸側で迎えのものが、モールス信号よろしく照明を点灯させるから、
そちらに船首を向けろとのことだ。

モールス信号などわからない、とヌラディンが告げると、
なに、ここいらで他にそんなことをやっているやつはいないから、
すぐにわかるとのことだった。

事実だった。真っ暗闇の中で、灯りが見えるのはそこだけで、
その灯りが誘うようにゆっくり点滅している。

ヌラディンとアリーが乗ったボートは、そちらに向けて進んだ。

真っ暗なので振り返っても見えなかったが、
後の二人が乗ったボートも続いているはずだった。
いや、ヌラディンにとっては続かなくても構わなかったが、
船外機が唸る音が静かに聞こえていたので、
2艘目も続いているのだとわかった。

岸が白い線となってかすかに見えてきたので、
もともと低速だったが、さらにスロットルを絞った。

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RIBは殆ど音もせず、砂浜に乗り上げた。
真っ暗でわからなかったが、ヌラディンには山のようなところに見えた。

誰もいない。
位置関係からして、信号を送っていたものは山の中腹みたいなところから
送ってきていたような感じがした。

後方で、2艘目のRIBも着いたのが気配でわかった。

見ていると、真っ暗な中から二人の男が現れた。
中年で、二人ともヌラディンより年上に見えた。
何人なのかもわからない。

彼らは無言で、RIBの操船部に綱の輪になっている部分を
輪投げの要領で嵌めると、綱を自分の肩にかけて、そのままRIBを引きずり出した。

「手伝ってくれ、隠すんだ」

アラビア語だった。


ヌラディンら4人は手を貸した。

彼らが上陸した前方は、鬱蒼としたジャングルで、丘のようになっていた。
昼間でも外から見てわからないだろう、と思われるような茂みに、
RIBを横倒しにして押し込んだ。

「絶対見つからない、というにはほど遠いが、
2,3日見つからなければいいんだ」

ヌラディンたちを迎えに来た男たちのうち、片方が答えた。

つまり、帰路はここには戻って来ない、ということだ。
あるいは、片道しかないのか。

ヌラディンの推測では、航空便のチケットは往復分渡されていたが、
この計画にはヌラディンたちの復路は用意されていない、と考えていた。
当たり前だろう。世界のお尋ね者になった彼らを、
どこの国が受け入れてくれるというのか。


「急いでくれ。夜のうちに隠れ家に移動する」
先ほどの男が言った。

鉈を振るって、道を切り開いていく。

おそらく踏みならされた道もあるのだろうが、
その方が安全なのだ。

人気のないジャングルだから、木を切り倒す音が聞こえても構わない。

遠くにライトアップされた寺院が見えた。

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美しかった。
異文明の建築を見て、そんな風に感じたのはヌラディンにとって初めてのことだった。

30分くらいそうやって進むと、民家の家並みが見えてきた。

エジプトの市場みたいに、迷路じみた街路だった。
ここなら、どの家が誰の家なのか、よそ者にはわかりにくい。

そのうちの一軒に案内された。
粗末な家で、湯も出ないがシャワーはあるので、十分だった。


順番に風呂を浴びさせてもらうと、食事が用意されていた。
生だったが、野菜が大量にあった。
これに味噌をつけて食べる。
何の野菜かわからなかったが、うまかった。

さらに、主食はシーフードだった。
至れり尽くせりだ。

「ここはどこなんだ?」

人心地つくと、ヌラディンは聞いた。

「プチュアップキリカン」

「はあ?」

あまりに聞きなれない地名で、ヌラディンは思わず聞き返した。

「タイなんだろう?」

「そうだ」

「あんたたちはアラビア人じゃないよな?」

「タイ人だ。
イスラム教徒だというだけで」

「その割には、ターバンも何もしていないじゃないか」


「あんたたちと同じだよ。生き残るためには、何でもする」
男が笑って言った。

男はプーと名乗った。魚、という意味らしい。

ヌラディンもうなずいて同意した。
この連中は、自分が連れてきた3人のガキと違って、仕事ができそうだ。
何をすればいいか、心得ている。

「オレたちへの指令は?」

「明日伝える。
今晩は休め。

明日の朝、適当な時間に来る。
外に出ても構わないが、森の方向だけにしろ。
反対側に進むと、街に出てしまうからな」

ヌラディンは、その言葉をありがたく頂戴することにした。

時刻は、深夜を過ぎているはずだった。

ヌラディンたちは、小さなスーツケースを持参してきていたので、
中から半袖・短パンを出して着た。

スマート・フォンも充電機にセットしてから寝た。
時刻を知る必要がある。

ーが去った後、ヌラディンは念のため外に出て、家の周囲を一周した。
彼らは嘘は言っていないようだった。


翌日、彼らは8時過ぎに起きた。
多分、6時間は寝れたのだろう。
疲れは取れていた。

ーが来て、朝食のあと、
まずはSIMカードを渡してくれた。

「当面はこれを使ってくれ。
あまりうろちょろしないように。
ここはイスラム教徒が皆無というわけではないが、
あんたたちが4人まとまって動いていたら目立つ。

それと、悪いが髭は剃れ」

「そんなことは断じてできない!」

ジャワリが猛然と言った。

「言うことを聞け。
お前のおかげで計画を台無しにするわけにはいかん」

ヌラディンがなだめた。
ーも相槌を打っている。

ジャワリは従ったが、その目はヌラディンを睨めつけていた。
こいつはもう用無しだ。ヌラディンはそう判断した。

「よし、支度してくれ。出発だ」


彼らは家の外に出た。
表にピックアップが停まっていて、荷台に乗れという。

「どこに行くんだ?」

「首都の方向だよ」

これでようやくわかってきた。
東南アジア屈指の世界都市で、何か爆破しようという気だな。
やっと面白くなってきた。

「武器はどこで手に入るんだ?」

「武器の調達までは命じられていない。
それから、荷台の連中に、あまりきょきょろするなと言ってくれ。
目立つからな」

そういうと、プーともう一人の男は助手席と運転席に収まった。
ヌラディンは、その二人と荷台の間の席に乗った。

狭いが船の上よりはマシだ。


「どのくらいかかるんだ?」

「バンコクまで、3〜4時間だ」

「計画の詳細を教えてくれ」
ヌラディンは急かした。

「道中話すよ」
ーは呑気に答えて、ラジオのつまみをいじって
カントリー・ソングのチャンネルに合わせた。

女性の声で、きれいな歌声だった。
後で教わったのだが、ターイ・オラタイという歌手らしかった。
耳に心地良い歌声で、ヌラディンの心も穏やかになった。

タイか。
いい国じゃないか。

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