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■2018年10月31日:Athlon 1GHz

がCPUに及んだところで、少しCPUネタを続けたい。


それは、少なくとも大騒ぎではなかった。
なぜなら、誰もが胎動は感じていたからだ。

2000年3月7日、Athlon 1GHzの発表である。
これだけのビッグニュースだから、事前に情報は流されており、
誰もが今か今かと待ち受けていた。

その中でも、雑誌の背表紙のgatewayの1GHz PCの広告が今でも記憶に残っている。

gatewayといえば、私が知っている範囲で、2000年に町田に直営店ができたのだが、
すぐに潰れてしまった。確か同じ年に会社自体も潰れてしまったような記憶がある。

転職の合間で金がなく、いいなぁ〜と思いながら羨望の眼差しを向けていたのだが、
すぐに閉店してざまあみろとほくそ笑んだものだ。

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最初はSlot Aだった。
当時、IntelがSlot 1なる形状で先行していて、パッケージを開けて
どうのこうの、などというテクニックが飛び交っていた。
この頃はモデルナンバーというのはなく、
単に商品名+クロックで売られており、
同一クロックであればAthlonはIntelのPentium IIIより
僅かに高性能だったのだ。(あくまでベンチ上は)
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パッケージ。初値は10万円を超えていた。 実は、このころまだ私はAthlonを使用しておらず、
Athlonは1.4GHzが初だった。
K6を使ったことはあったが、まだPentium IIIを使っていた。
Athlonは、これ以降Athlon XPに引き継ぎ、
クロック制を廃止しモデルナンバーの時代が始まった。
日本AMDの堺社長があるPC雑誌に「いつか、誰かが、
やらねばならないことだった」と寄稿している。

発表会の様子 おっさんたちも勢ぞろいだ。
上段右端が堺社長。
この頃はまだ、液晶モニタも15"で10万円くらいした。 そう、この当時の既製品のパソコンというと、こうだったのだ。
何の変哲もない、たいていは白または黒い箱で、
自作ブームの発展に拍車をかけた。
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堂々たる価格である。
gateway
秋葉原店

インターネットから拾ってきた画像も、640x480サイズばかりだった。
ゲームの解像度がそのくらいだった頃である。
時代を感じさせる画像たちだ。


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持ってたなあ。懐かしい。 i815Eを搭載するSocket370のマザーで、内臓VGA搭載。ヨドバシカメラが出来て潰れてしまった、町田のパルテックで17,000円で買ったのを今でもよく覚えている。ステッカーじゃなくて樹脂製のエンブレムが付いていてね。限定版なのでやや高価だった。ちなみに現物はリボン包装はされていなかった。■2011年1月16日:AOpen AX3S PRO Sweet kiss


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