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勝坂の庚申塔
2023年1月22日

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磯部の勝坂地区のこの場所に 、なかば朽ちた石碑があるのは子供の頃から知っていて、
誰かの墓だと思っていた。

とはいえ、隣接する家は、片方は失礼だがどう見ても墓持ちの家には見えないし、
もう片方は豪邸だが、だったら墓を荒れ放題のまま放置するか?
そもそも、2軒とこの石碑の間には、しきりがある。
つまり、この石碑は墓ではない可能性があった。

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荒れた石碑が放置された一角
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そこで、ここのところ地元の歴史にはまり出した私だ。
先日、犬の散歩のついでに写真を撮り、家に帰って碑文を読んだところ、
「明治五年壬申春祭」
とあった。

やはり、墓ではなさそうだ。
上記の碑文をインターネットで調べたが、簡単には分からなさそうだった。
そこで、写真を父に送って聞いてみた。

それによると、父は「相模原市史」なるものから該当する部分の
全文を送ってくれたのだが、
それ自体もインターネットには落ちていない。有料だからだ。
おそらく父は蔵書しているのだろう。
無断転載に当てはまるかもしれないので、要約する。

まず、庚申というのは冒頭にリンクを貼った通り、
体内に住む虫が60日に一度夜、体の外に這いずり出て、
天帝(日本の場合、帝釈天)にその人間の所業を報告に行く、
という道教に由来する風習のことらしい。
というわけで、当時の人々は、その日は寝ないでやり過ごしたらしいのだが、
それを何年か続けたら、記念碑を建てたりした。
それが、庚申塔というわけで、記念だから、名前を掘ったりした。

大昔の話なのに、中国の宗教が日本まで伝来して、
あまつさえ磯部くんだりまで来て流行ったのか、という話だが、
今日本人が中国製の携帯電話でゲームに夢中になっているのと同じことだ。

そして、相模原では養蚕が盛んだった。
私も、どこだかは覚えていないが小学生の頃、
学校で養蚕業者を見に行ったことがある。

それで、勝坂の勝源寺には庚申の本尊である青面金剛があり、
彼は養蚕の神としても有名で、
豊作を願い春などはそのミニチュア像を借り受けて祭りが行われたらしい。

石碑は庚申と養蚕を結びつけて祀ったものというわけだ。
つまり、明治5年だから、150年前に建てられたもので間違いないようだ。
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塔の側面に人名が彫られている。
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勝源寺の青面金剛(父の提供)


ところで妻にこのことを説明するのに、蚕というタイ語を知らなかったので、
googleで調べたところ、と変換された。
カオチャイマイ(do you understand?)を表現する”マイ”という
疑問詞と同じ字だが、”SILK”という意味だ。

おいおい、繊維じゃなくて虫なんだけどな・・・
というところまで考えてから気が付いた。
中国製の対艦ミサイルでシルクワームというのがあって、
湾岸戦争でもイラク側が多国籍軍に対して使用したが、
シルクワームとは蚕のことだ。

わ、そんなことも知らなかったのか、オレ。
恥かいたw

妻にはちょうど鳴沢風穴 で見ていたので、説明が省けた。
タイにもタイ・シルクの名が示すように、養蚕業はあるが、
蚕は揚げて食べることもするらしい。

「おいしいわよ」

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