■2021年11月11日:スパイ小説の世界へようこそ U- 6
8
アドゥルと会った翌日、
さっそくプーからメールが入っていた。
コニーと一緒に会合したいと書いてあった。
コニーはマリーを連れてランニングに出ていて、
帰ってくると、パソコンの前で腕を組んで座っている五十男の肩に手を置いた。
「何か連絡があったの?」
五十男は振り返って思わずドキッとした。
コニーは体にぴったりしたランニング・ウェアを着ていた。
形のいい胸が張りだしている。
コニーが五十男の表情に気付いて、たちまち目を細めた。
「あら、いい子にしてたかしら?」
そういって五十男のズボンの前をさすった。
「い、いや、きみこそマリーを連れて行って、大丈夫だったかい」
「大丈夫じゃないわよ。
美人の娘だから、野良が何匹も寄ってきて困ったわ。
引き離すのに全力疾走したのよ」
そういえば、コニーは首から襟にかけて、だいぶ汗をかいていた。
五十男はその胸元に指を這わせた。
「シャワーを浴びてきなよ。
それから説明しよう」
「シャワーを浴びるのはわたしだけでいいの?」
「早く浴びておいで!」
五十男はそういってコニーの体をシャワールームの方へ押しやった。
コニーは後ろを振り返って微笑みながら、バスルームの方へ消えていった。
シャワーを浴びたコニーは、タオルを体に巻き付けた姿で、
また五十男の後ろに立った。
五十男は構わず話し出した。
「アドゥルの子分のプーというやつが、僕らに会いたがっている」
「どこで?」
「わからない。
トンロー通りをスクンビットの方向に歩け、と書いてある。
こっちまで来てくれるなんて、今回は親切なことだね。
いつも車で拾われて、どこかに連れて行かれる、という落ちなんだ」
「そうなの。じゃあ服を着てくるわ」
着替えてきたコニーは、
黄色いシャツに花柄のフレア・スカート姿だった。
いつものようにショルダーバッグを肩から下げている。
美人は何を着てもさまになる。
二人はトンロー通りを指示通り、スクンビットの方向に手をつないで歩いていた。
すれ違う人々が、不審そうな目を向けてくる。
この辺は、日本人が多いので、
自分たちと同じ日本人のおっさんが、タイ人には見えない東洋人の美女を連れて、
どんな素性のものなのかと、怪しんでいるのだ。
しかも、コニーはダイヤの指輪までしている。
これがにやつかないでなんとする。
「あなた、意地が悪いわよ」
まるで語尾にハートのマークがついていそうだった。
例によって五十男の思考を見透かしたコニーが、
着ているスカートと同じような花柄の笑顔を向けて、
五十男の頬を人差し指でつついた。
なんと、自分は幸運なことか。
五十男は自分の後半生に花を添えてくれた女性に、心底感謝した。
そんな五十男の感情には関係なく、
10分か15分くらい歩いたころ、シルバーのレクサスが反対方向からやってきて止まった。
やれやれ、今度はレクサスか。
助手席に乗っていたお約束の服装の男が、二人に乗るように目顔で伝えた。
そういえば、迎えに来る連中も、いつも違うやつだ。
NIAはどれだけの資金を持っているんだ?
五十男とコニーが乗った車は、Uターンして来た道を戻りだした。
そのまま、スクンビット通りを右折する。
はてさて、今日はどこまで連れていかれるのやら。
混雑する通りを、長い間車に乗っていたので、
五十男はいぶかしんだ。
プルンチットを過ぎたあたりで、無線通りに折れたので、
シーロムに向かっているのだとわかった。
さらに、ルンピニー公園のところで、サトーン通りに入った。
はん?
もしかして・・・
車は、スラサック駅で止まった。
助手席の男が、通りを渡ってくれと身振りで示した。
予約してあるとのこと。
はいはい、もうわかったよ。
今日の会合は、高級タイ料理店、「BLUE ELEPHANT」で行われるのだ。
口が「まあ」の形に開いたままになっているコニーを連れて、
五十男は店に入った。
「予約してあるらしいのだが」
「はい、こちらです」
名乗りもしないのに、係りの人間に一室に案内された。
人相が伝えられていたのだろう。
五十男から見たら趣味の悪い、タイ伝統スタイルの調度で飾られた、
「会見の場」みたいなところに通された。
大きなテーブルに、椅子が4脚用意されていて、
そのうちのひとつにプーが正装で座っていた。
アドゥルも来るのかと五十男は思ったが、会見は3人で進められた。
五十男はジーンズにTシャツ姿だった。
コニーの方は元々美人だし、
服装もそれなりの格好をしていたので合格だろうが、
五十男は明らかに場違いだろう。
「身なりがだらしないのは勘弁してくれるだろうね。
なにしろ行き先がわからなかったのでね」
「はい、気にしないでください」
プーがにこやかに答えた。
「コニーさん、はじめまして」
「こちらこそ、はじめまして」
コニーが優雅に答えて返す。
コニーは見るものを魅了せずにはおかない女だった。
容姿はもちろん、本人は意識していないのだが、
それだけに先入観なしに人と接する姿勢が、
相手にも安心感を与えるのだった。
婚姻前の職業で身に着けた能力の賜物だ。
「まず最初に訊きたい」
五十男が二人のやり取りを無視して聞いた。
この男は、放っておいたらコニーを口説きだすに違いない。
「何でしょう」
とプー。
「NIAはどれだけ金を無駄遣いしているんだ?」
「それはあなたの知ったことではないでしょう」
ほーう、ガキが、いい根性だ。
いいだろう。たらふく食ってやるとしよう。
「盗聴の心配はないんだろうね?」
「大丈夫、事前に掃除(盗聴器を探して調査すること)してあります」
「まず、彼らの標的がはっきりしました」
ほう。
最初に出てきたカボチャスープをすすりながら、五十男は聞いていた。
「ステート・タワーです」
「ドームか!」
「そうです」
Lebua at State Towerは、たしか2006年ごろにできたホテルで、
高層階にレストランが何件もあり、中でも63階の地中海料理店「Sirocco」は、
金持ち向けの有名なナイト・スポットだ。
ちなみに、シロッコとはイタリア語で「東風」の意味で、語源はラテン語だ。
もっとさかのぼるとアラビア語で、
古代ギリシャ・ローマの船乗りたちが輸入したらしい。
シロッコは屋外で、夜景が素晴らしく、五十男もマフアンとは何度か行ったことがあった。
ISめ、それを爆破しようという気だな?
「多分、爆破を狙っているでしょう」
プーが五十男の考えを肯定するように言った。
「しかし、やつらは今どこにいるんだ?」
「わかりません、でもタイ国内に潜伏しているのは間違いないと思います」
「どうしてステート・タワーだとわかった?」
「通信ですよ」
また傍受か。
お前らは一体どこでどうやってそういうことをやっているんだ、
と訊きそうになって、五十男は思いとどまった。
そうか。こいつらはCIAから情報をもらっているんだった。
アメリカなら、そのくらいの技術はあるだろう。
「それと、ターゲットの名前はヌラディンです」
「誰だ、それは」
「ゼンギの息子ですよ」
ゼンギ・・・?
五十男は首をひねった。
首が折れる前に、思い出した。
そうか、あいつか!
「そうです、シンガポールであなたが始末する糸口を与えてくれた、
あのテロリストの息子です」
プーが後を引き取った。
「わかった。
それで、どうやって阻止する?」
「それをあなたに相談したいのです。
私などより断然経験豊富でしょうから」
「ターゲットは一人だけなのか?」
プーの世辞は無視して五十男は疑問を口にした。
「わかりません」
「外国からはるばるやってきて、建物を爆破する気なら、
一人ということはないんじゃないの?」
それまで黙って聞いていたコニーが口を出した。
もっぱら食べる方担当だと思っていたのだが・・・
この日の食事は、コース風に、いろいろなものが少しずつ、
多量に出てきていた。
「私もそうだと思います。
あいにく、人数はわからないですが」
ヤム・マクアヤーオ(茄子のサラダ。炒めてある)をもぐもぐしながら、プーが同意した。
この野郎、美人の言動には何でも同意するタイプだろう。
「父親は一人で来たんだろう?」
「それはそうですが、あの時は一人だという確定情報があったそうです」
「悪党を始末するのは誰の役目だ?」
「アドゥルがゴドフロアを呼んであります」
またか。これでユノが加わったらオールキャストじゃないか。
「決行の日はいつだろう?」
「今は12月ですよ。クリスマスに決まってるじゃないですか」
「そうか。それが妥当な推測か。
それなら、問題は悪党の潜伏場所だな」
「そうです」
プーが相槌を打つ。
「でもそれがわからなくて・・・」
「敵は何でステート・タワーを選んだのだと思う?」
「わからないです。我々も、通信を傍受しただけで・・・」
五十男はこれを聞いて、この若者の評価を改めた。
こいつは・・・何も考えていない。
「簡単だよ。ステート・タワーの周りに何があるか調べてみればいい。
コニー、電話を貸してくれないか」
そう言ってコニーのスマートフォンで地図ソフトを起動する。
先日NIAから貸与された衛星式のものは別として、
五十男は相変わらず電話機の類を所持していなかった。
「周り、ですか・・・?」
プーがオウム返しに繰り返す。
お前はもう考えなくていい。
「何があるの?」
コニーが夫が操作している、自分のスマートフォンの画面を覗き込んだ。
美しい顔が近づいて、コニーの髪の香りが鼻孔をくすぐった。
五十男は、プーにというより、新妻に説明するように
スマートフォンの画面を見せて続けた。
「ほら、これだよ」
そういって、ステートタワー周辺のストリートビューを見せた。
そこには、宝石店が並んでいた。
「ジュエリーを売るお店が多いのね。
アユブ、ワヒド、サヒル...
なにこれ!?」
コニーは口を両手で覆って後ずさった。
その目には驚きというより、恐怖の色さえ浮かんでいた。
「そうなんだ。
この辺は、なぜかイスラム教徒が経営する店が並んでいるんだ」
「そうだったんですね。
それは知らなかったです・・・」
現地人のはずのプーまで同じように驚愕の色を浮かべている。
彼が気付かなかったのは、まあ若いから仕方ないと五十男は考えた。
もしかしたら、アドゥルはわかっていて派遣したのかもしれない。
勉強させるために。
「このうちのどれかの店にISの人たちが隠れているの!?」
先ほどの驚きからまだ立ち直っていない、コニーが訊いた。
「いや、それはわからない。
ISは過激派だから、むしろ付近の住民に匿ってもらっている可能性は低いだろう」
「じゃあこの辺に潜伏しているという推定の根拠は・・・?」
プーが言う。
バカだろお前。
「よく見ろ。閉まっている店が何件もあるだろう。
空き家になっているところを当たってみろ。
何人も要るぞ。
それから、この辺の賃貸の契約状況を調べろ。
最近借りられたか、あるいは交渉中とかな。
地主自身が潜伏中のテロリストかもしれんぞ」
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