八景の棚と支那事変慰霊碑
2024年1月13日 晴れのち雨
最近、IMEだと”しな”、と入れても支那と簡単には出てこないようになっている。
誰かが中国に気を使っているのだろうか。
八景の棚は、当時地元の高校に通っていたので、わざわざ改めて行くほどの価値を見出していなかったのだが、
ネタが尽きてきたので足を延ばしてみることにした。
ここのところ特に寒くなっていたが、昼間は気温が上がるのでウインドブレーカーのみで出発し、
後でとんでもないことに・・・
県道46号線を進む。 街道樹を剪定中。 道保川公園で見かけたのと 同じ、地元の業者だ。 |
右が下溝駅への曲がり角。 もう少し先へ進む。 マリーが(車が大きいので) 怖がって飼い主より先に進まないw |
あそこが下へ降りる道だ。 | ちょっとわき道にそれて自販機へ。 ここはお得なのだ。 |
その路地にあるよそのお宅の祠。 | さて、これが坂道からの景色。 | 母校の運動場。 | ここからの景色はろくでもない。 実は、景勝地はさっきの県道の先 にあって、かったるいのでここで 済まそうとしていたのだが、 来た道をもう少し先に行くことにした。 |
焼肉八景(閉業)。 昔一度だけ来たことがある。 |
お、この辺でもどんど焼きを やるんだな。 |
この辺から表示が出だす。 ところが、だんだん曇ってきた。 |
着いた〜 |
ベンチがあって、要は草を刈って あって、よく見えるようにしてある だけなのだが、バス停もある。 |
と、この辺から雨が降り出す。 おいおい、それまで晴れていたので 雨の予定などしていなかったぞw |
手早く写真を撮る。 | |
あーあ、晴れてりゃあねぇ・・・ | 昔は下に降りられたのかな? | トイレもある。 ここで向こうに石碑があるのことに 気が付いた。 |
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左側は先端が折れているが、 出征記念碑、右は慰霊碑。 |
右の慰霊碑上部 | 慰霊碑の裏面。 支那事変の慰霊碑だ。 |
左側の記念碑裏側。 明治二十七八年戦役参加者と 書かれている。 驚いた、日清戦争じゃないか。 |
この石碑は上段の5名が戦死者で、この辺りは麻溝という地名なのだが、 麻溝村からこれだけの人が出征したんだ、という誇りが感じられ、 対して右の慰霊碑は後から建てられたのだろう、支那事変は日本史上最悪のアホだった という主旨のことが刻まれており、当時の日本の指導者は今の連中より さらに頭がおかしくて欲の皮が突っ張っており、 おかげで自分らが行って死ぬのならともかく、 関係のない前途有望な何人もの若者を送り込んで、相手の国の人々まで巻き添えにして多くを死なせた、 という恥ずべき出来事を二度と再び日本の歴史に残さぬよう、伝えている。 さて、当初の計画では坂へ戻って三段の滝の広場に戻る予定だったのだが、 妻はそんなことには興味がないのか、 雨もかなり降っており、洗濯物をしまいに戻ると言って先にマリーとともに帰った。 私は一度で済ませたかったので、計画通り坂に戻った。 |
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これが下の河川敷の方向に行く坂道。車がすれ違えないような幅で、 退避所があるが、人とすれ違うにもいちいち止まる車がいた。 なら車など使わなければいいのに、と思う。 |
降りたところの橋。 | 今車が出てくる道に入る。 | |
川の向かい側の土手。 これが地球の末路だ。 |
運動場が見えてきた。 | 雨でも野球(だと思う)の練習に 勤しむ後輩たち。 |
橋が見えてきた。 |
右に少し進むと、橋に上がれる。 | 相模川の方向を望む。 | あっちが三段の滝の方向だ。 | この橋にも名前があるのか・・・ |
あれ、剪定まだやってるのか? | 三段の滝の下に着いた。 | なに、この川は八瀬川というのか。 | 展望広場 |
私が若いころ、日中戦争でも太平洋戦争でもいいが、
よく日本の当時の行動を「侵略戦争だった」などと、さも振り返って言うような風潮があったが、
そんなもの人に言われなくても、誰かが住んでいるところに殺しに行ったのだから
侵略なのは当たり前であって、人に言われなければわからないくらい頭が悪いのか、という話である。
目下中国が逆襲を目論んでいる中、恥をかかないようにしたいものである。
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