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■2022年3月17日:スパイ小説の世界へようこそ V-7

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「片っ端からモスクをあたってみるといい。
やつらはそのうちのどれかに顔を出すだろう」

ヌラディンはバンコクを出るときにアドゥルから言われたことを思い出していた。

13時間に及ぶ長距離バスの旅だった。
途中、チュムポーン県で一泊して乗り継いだ。

ソンクラー県へは、ハートヤイ郡へ飛行機も出ているのだが、
アドゥルから何があるかわからないから、
と彼は銃を渡されていたので、陸路を行くしかなかったのだ。

銃は、ちっぽけなGLOCK 26で、10発入りの予備の弾倉も2つばかり渡されていた。
今、その銃はアンクルホルスターに入れて、ジーンズの裾で隠してあった。
予備の弾倉は、リュックの中に放り込んであった。

しかし、無線機や電話の類は危険だからと渡されていなかった。
連絡はしなければいけないのだから、
通信機の方が銃よりよほど使用頻度が高いだろうに、
ヌラディンにはアドゥルの趣味がよくわからなかった。


連絡の手段は、ハートヤイの郊外にある、とある市場に投函所を設け、
昔ながらの方法でメッセージを置いておくことになっていた。

ヌラディンはハートヤイのバス乗り場に着くと、
バスターミナルを出て、宿探しを始めた。

ハートヤイの停留所自体は、三角形の敷地を壁が取り囲んでおり、
その外周に店があるのだが、商店くらいしかなく、
100mか200mほど西に行くと、ようやく宿らしきものと遭遇した。

彼が選んだ宿は「GOOD DREAM PREMIER」だった。
モダンな外観のホテルで、わずか1,200バーツの料金で、
彼は使用しないが無料WiFi付き。部屋も狭いが清潔だった。

宿などどんなところでもよかった。
屋根があるところで寝れるのであれば、
イラクのどんなところよりもましだと、ヌラディンは思った。

実際モスク探しの方が憂鬱だった。
NIAの分析では、港から半径5km程度の範囲を探せとのことだったが、
google mapによれば、その範囲にモスクは20〜30個所はあった。

5kmの根拠は、連中には土地勘がないだろうから、ということらしかった。


「戦いに行け、聖書の真の教えを誤って信仰している民に向かって」

捜索を開始して一週間が経ったころ、ようやく努力が報われた。
そこは地域一大きなモスクで、壮麗で、ことに夜になると美しかった。

ヌラディンは当初、連中は目立たぬよう小さなモスクで活動しているもの、
と考えたのだが、それは読み違いで、彼らは大胆にもその逆をいっていた。

このモスクで、こんな過激な演説を地元のイマームが行うわけがない。
言っていることは確かにコーランに書いてある内容だが、
今どきこんなことを真に受ける人間はいない。

演説している人間も、人種の特定はできないが、どう見てもタイ人の顔ではなかった。

これは報告しなければならない、と考え引き返そうとしたところ、
何かがヌラディンの視界に入った。

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それは人の顔だった。

それも、大変な美人とか、悪魔のような顔だとか、
そのようなことではなかった。

知っている顔が、そこにあったのだ。

あれは・・・ハフェズ。
いや・・・ハフェズだけではない、ムラトもいる。

二人は、演壇の若い男の方をにらむように見ている。

なんということだ。
これはアダウラの手のものだ。

アドゥルはこのことを知っていて自分をここに派遣したのだろうか。

とにかく、すぐに報告しなければ・・・

ヌラディンは急いでモスクを出た。


夕刻だったので、市場の投函所に手紙を置くと、
すぐに宿に引き返してチェックアウトした。

こうなったからには、宿も頻繁に変えたほうがいい。
やつらの組織に浸透するなどもってのほかだ。
何しろ、知った仲なのだ。
潜入も何もなかった。

別のホテルを見つけてチェックインする間、次の手を考えた。
しかし、あまりにも急展開過ぎて、すぐには何も思いつかなかった。

あのモスクにはもう行かないほうがいいだろう。
あそこに行かずに連中の動きを探るにはどうすれば・・・

投函所の文書は日中に回収されることはないだろうから、
NIAからの指示が来るのは早くて明日の晩ということになるだろう。

銃などあっても今は何の役にも立たない。

11

プーはだいぶ焦った様子だった。

五十男は電話を置くと、自分も急いで家を出た。
いつものまどろっこしい手順を省いたことからして、
よほどの緊急事態だ。

ヌラディンの身に何かあったか・・・


いつも通り高級車が彼を迎えに来て、いずこかの隠れ家に連れて行かれて、
すぐに会見の場に通された。
セキュリティのチェックまで省かれた。

「ヌラディンさんは大穴を当てたようです」

「ほう、どんな?」

「潜り込んでいるのは、どうやら彼の元同僚たちらしいんです」

「なんだって!?」

さすがにこれには五十男も驚いた。

「しかも、実践経験豊富な凄腕らしいんですよ」

「おいおい、それじゃやつの身が危険なんじゃないのか?」

「ところが・・・アドゥルは継続して潜伏調査を命じているんですよ」
いつの間にかひそひそ声になって、プーは言った。

「今のところ、分かっているのは彼の元仲間が侵入した、
というだけで、目的もわかっていないし、
こちらはまだ何の行動もとれない、ということらしいです」

「バカな・・・
彼は捕まっちまうぞ。
支援チームはいないのか・・・
投函所のやり取りをしているのだから、工作員はいるんだろう?」

プーは答えて言った。
「諜報員みたいのはいますけどね。
軍の特殊部隊は、プチュアップキリカンに少しいますが、
準備できていません」

プーはたたみかけた。
「いいですか、早まった行動はとらないでくださいよ。
あなたまでのっぴきならない状況に巻き込まれたら、
手が付けられなくなりますから」

「そんなことより、何か手を打てよ」

「目下、投函所を通じて次の指示を出していますよ」

「次の指示とは?」

「えー、現状を維持し引き続き監視せよ」

五十男は飽きれて目を剥いた。
「それのどこが指示なんだ?
指示が聞いてあきれるぜ」

「今は他に打つ手はありません。
投函所とのやりとりでは、1日おきに向こうの状況が分かります。
今は他にできることはないんです。
事態が急変すれば、アドゥルも動くはずですから。
分かってください」


プーの言っていることは五十男にもわかっていた。
気に入らないが、今は組織の言うことに従うしかない。

腑に落ちないものを感じつつ、引き下がるしかなかった。

「アドゥルは何を考えているんだ?」

「当座泳がしておくしかないだろう、とのことです。
治安機関はことが起きるか、証拠でもつかまない限り動けないですから」

五十男は強いジレンマを感じた。
自分が動けないことで、さらにいてもたってもいられない気分だった。


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