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■2015年9月26日:懐かしのプラモ屋

私は履歴書の趣味欄に「模型」と書いていた。
「模型」だけでは模型を見るのが趣味なのか、買うのか集めるだけなのか
実際作るのか分からない、とかそういうことではなくて、プラモ小僧だった(@AB参照)。

今でも作りたいとは思うが、日本からキットを壊れないように持ってくるのも大変だし、
そもそも塗料は危険物なので禁制品である。
輸出入手続きをすれば通関できるが有料になるし、個人でそれをやるのはちと辛い。

タイでも昔Central RamaIIにエレール(Heller)のシュペル・エタンダールが売られているのを見たことがあるが、
塗料がタミヤカラーしかなかった。タミヤカラーというのはアクリル塗料(水性)なので
速乾性がなく使いにくいうえに、タミヤのプラモの塗装図には
RLM(ドイツ航空省)やFS(アメリカ連邦政府) No.での塗料指定がなく、
キットそのものは悪くないものの、使いにくかった。

というわけで、グンゼ産業(今はGSIクレオスに変わっているそうな)のMr.COLORが必需品なのである。
もちろん、タイにはエアブラシなんてものも売っていない。

そんなんで気を紛らわすために、昔懐かしのプラモ屋の思い出を掘り起こしてみた。
下記一覧の他にも小さな商店はたくさんあったが、子供の遊びが他のものにシフトした結果、
そういった商店はどんどん潰れていった。
最近ではTamTamがあるが、それは新しい出来事で、私の思い出には含まれていない。

ちなみに、話は飛行機(WWII機)のプラモのことである。
※websiteがあるものは店名にリンクを付けた。

No. 略     図 ステータス 店 名 及 び 情 報
01 クリックして拡大 閉店
2005/1/31
三橋模型 神奈川県 座間市 地図(画像 座標
既に10年は前に閉店しているのは知っており、場所は覚えていた
(長らくシャッターが閉まっており、店構えはそのままだった)のだが、
店名が思い出せず。google mapを見ていて曲がり角の手前に同名の薬局が
写っていたので思い出した。一族の方が経営されているのかもしれない。
写真の路地を突き当たりまで行くと、相模線の相武台下駅だが、
その手前のどこかの右側の角にあったはずである。
寿司屋のカウンターのようなショーケースがある店で、店主は寡黙で岩のような男だった。
ところが決して不愛想ではなく、当時まだジェット機に熱を注いでいた私は、
イタレリのトーネードを買ったりしていた。
エアガンも置いてあり、主にそちらを利用していたような気がする。
上記リンクにあるものは、殆ど新宿のさくらや(こちらも閉店済)か御徒町のマルゴーで買ったものだが、
それ以前はもっと近所のおもちゃ屋で買っていた。
しかし2chで話題になっていたのには驚き、かつ笑わせてもらった。w)
02
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健在 相模堂 神奈川県相模原市中央区陽光台 地図(画像 座標
神奈川県道507号線、通称”村富線”上にある。
おもちゃ総合店であり、老舗だ。弱点は、値段が高い。
私は一時期店長主催で毎週日曜日に開催される、
戦争ごっこ(私はサバイバル・ゲームという言い方が嫌いなのだ)に参加させてもらっていた。
確か奇数週が川(中津川の箕輪の交差点を降りたところ)で、
偶数週が山(愛川町の三増)だったような気がする。
このうち、店長が参加されるのは後者の方である。当時、私達は20かそこいらの”新兵”であり、
最年少であったため、大人の方達とお付き合いさせていただく良い機会となった。
当店はプラモデルの品揃えは国内メーカーがメインで、わりかし寂しかった。
03 クリックして拡大 閉店
2000年以降
さんひこ 神奈川県座間市さがみ野 地図(画像 座標
後半の三田模型の店主の悪口を書いたところで、そういえば
南林間の駅前にあったプラモ屋でも、初回に行ったときには、買い物をしてやったので店主は愛想よく
「私は船会社を早期退社しておもちゃ屋開いたんですよ。船会社なんてのは今でいうリストラってのを
早くからやってましてね・・・」などと武勇伝を披露してくれたものの、
その後何度か行くうちに「買わないのなら帰ってください」ときたもんだ。
どうもボケが始まってようだな・・・などと考えつつも、三橋のところで述べた2chの
書き込みの中に出てくる「さんひこ」という店名にも何となく心当たりがあった。
それで思い出したが相鉄線のさがみ野駅の厚木基地側にも、
変なところにプラモ屋と駄菓子屋が合体した妙な店があって、結構マニアックな掘り出し物があった。
しかも、この南林間の店とさがみ野のプラモ屋は繋がりがあって、まずどちらも店名は一緒だった。
2chを読むと2号店だのなんだのという書き込みがあるが、甘い甘い。
私がさがみ野の店を知っているのは、最初に務めた会社がさがみ野にあって、
厚木基地にちょくちょく出掛けていたからというのもあるが、
会社はさがみ野から南林間方向に歩いて30分くらいのところにあったので、元々
南林間の店を知っており、南林間の店は単なるガンプラ・ショップだったのでどうでも良かったのだが、
私がスケール・モデルメインだと聞いた店主に、「女房もさがみ野で店を出しているんですよ」と
教えてもらったので知っていたのだ。さがみ野店はおねいちゃんが店番をしたりもしていた。
娘かどうかは知らないが。美少女ガレージキットみたいなものも置いてあり、気味の悪い店だった。

90年代というのは、まだあなたの街の駅前に必ず1軒くらいは模型店が残っていたのである。
そういえば通った小学校の前の駄菓子屋にもこの頃戻ってみると、
マクロスのデストロイドなんかが売れ残っていて、
マクロス・カラーは塗料が腐っているから使えないよ、と店主の女性が申し出てくるほどだった
(まだだけ残っているがそれでも我々は買ってきた。説明書は実家にあるので手元にはない。
作ったスパルタンそのものは、装甲チェックとかいってBB銃で撃ち抜いて大破した)。
04 クリックして拡大 閉店
2007/9or10
ホビーズホビー おくぬし 東京都町田市原町田6-13-17 アーバンビル2F 地図(画像 座標
一時期”おくぬし”の店名で町田の小田急線東口から都道47号線に至る手前で、
掘っ建て小屋のような仮店舗で営業していたが、96年頃、もうちょっと手前に
パチンコ屋(GOLD ONという店名は覚えていた)と同居したビル内の2Fに移転した。
私は今回調べるまで(一時帰国の折りに町田に行く機会は何度かあったが、
妻と一緒なので念頭になかった)、
潰れたとは思っていなかったのだが、2007年の9月か10月に閉店したそうである。
私がタイに赴任になってからの話である。道理で知らなかったわけである。
私は、まだ同店が潰れる前、同店の店員が東急ハンズの模型コーナーに転職しているのを
二人まで見かけたことがあるが、東急ハンズももうなくなってしまったので、その後どうなったものか。
なかじまもプラモデルは売らなくなってしまったし、何度も店舗を移転して今は見る影もない。
ホビーズホビーは店員は不愛想ながら、ファインモールドのソフトメタル等のパーツが豊富で、
彗星夜戦はここで買った。
05
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閉店
96年?
DUCKまたはダック(確かそんな名前だったと思う) 東京都町田市金井 地図(画像 座標
鶴川街道と、金井という地名は覚えていて、また青木だかコナカだかJoshin電気だかの駐車場で
車に座って買ってきたものを眺めていたところ、前に止めていた年寄りが後ろを見ずにバックしてきて、
慌ててクラクションを鳴らした記憶があるので、恐らくこの辺にあったものと推測するのだが、
こちらも、20年近く前に閉店しているので、インターネットで探しても何も出て来ず、
店名ですらあやふやである。しかしながら私にとっては大変思い出深い店であり、
確か零戦か何かのシルエットが大きく店の壁に描いてあった。
当時ホビークラフトからバードケージ・タイプの1/48 F4U-1が登場したので探していたところ、
タミヤからバブル・キャノピーのF4U-1Aが近々発売されるので、
同店では買い控えているなんて話をしていたので、
96年頃の話だったと思うが、どの道私の作はこの店で見つけたエアロマスターのデカール(ノーズアート)
を貼りたく、それがバードケージタイプだったのでホビークラフトのでも良かったのだが、
結局タミヤから登場するのを待っていた。ホビークラフトのキットはそれほど出来が良くなかった。
店主は話好きな人で、私がP-38の良いキットがないかと聞くと、
「(当時)P-38はモノグラムしかないですね〜」と自身の作である仮組したP-38を見せてくれたりした。
同店は、ほどなく閉店してしまった。何でも店主がレディースの服屋をやりたいとやらで、
「この立地で儲かるかどうかわからないのですが」と言いつつ、
しばらくすると本当に服屋に変わっていたが、その後私が立ち寄ることはなかった。
06 閉店
情報なし
三田模型 神奈川県川崎市高津区作延(溝口)
ここも思い出深い店だった。ここだけは調べても情報がなく、場所を思い出せなかった。
学生の頃友人Kとともに学校の帰りに行ったのだが、溝口の駅から歩いて行って、
ただでさえそんな時間に行っても19時か20時になってしまうのは当たり前なのに、
K氏の記憶を頼りに行ったものだから場所が分からなくて迷い、
何とかたどり着いた時には店は閉まっていて、シャッターを叩いて開けてもらった。
とんでもないガキだった。V GUNDAMを放映していた当時だったので、93年頃のことだろう。
住所の地名はK氏が覚えていた。同店にはその後も2,3回行った記憶があるが、
店主は少々ボケていたのか2回目以降は私達の顔を忘れてしまい、
「目的もないのに何をしに来たんだ」と出ていけコールが始まってしまい、寂しい思いをしたものだ。
ここはそれでもマニアックなアイテムが多く、当時イタレリのトーネードだのMIRAGE 2000だのの
様々なバージョンを買い漁っていた私には、面白い店だった。
07 クリックして拡大 健在 ジャーマンホビードラ 東京都渋谷区富ヶ谷 地図(画像 座標
つまるところどの店も私が青春を燃焼した店であり、思い出深いことには変わりないのだが、
この店が一番印象に残っていた。
あるときふとそういえば代々木上原のプラモ屋に通ったな〜と思い出したのだ。
私は学生時代、小田急相武台前駅の今はなき駅ビルJOYFUL内のとんかつ屋でウェイターをしており、
どんどん話がそれるが地下鉄サリン事件も板さんと新聞を読みながら
「すげえな〜、エグイねぇ」と驚嘆しあったものである。
で、その店の系列店が経堂にあったりして、かといってとんかつ屋の店長にプラモ屋を教わったはずがなく、
当時購読していた航空ファンにでも広告が載っていたのか、どうしても店名を思い出せなかったのだが、
商店街をぶらぶら歩いてプラモ屋で買い物した後、その辺の小さなビルの2Fか3Fのしゃれた洋食屋で
リゾットを食べたりするのを楽しみにしていた覚えがある。どうせ今はもうないだろうと
google mapでちょろちょろしてみたが見つからない。今度は”代々木上原” ”模型店”で
ドクター googleに相談したところ、直ぐにでてきた。「ジャーマンホビードラ」。
これだ!このぶっちらかった店構え、今にも例の”おばちゃん”が出てきそうな雰囲気。
地図を見るまで商店街がどこだか思い出せなかったのだが、思い出した。やはり航空ファンの広告だ。
この店には強力な”おばちゃん”がおり、この手の個人商店にはたいてい”おばちゃん”がいるのだが、
たいていの場合、おばちゃんの役割は会計係だったり、店主を呼ぶのが任務だったりするのだが、
この店のおばちゃんは極めて強力であり、店主に引けを取らない商品知識と在庫管理能力を持っていた。
当時既に店主は年配の方だったはずだが、同店がまだ健在と分かってうれしい限りだ。
機会があればまた寄ってみたいと思う。その時にこそ、また何かキットを買おう。
ジャーマンホビードラはとにかく洋物が豊富で、
怪しげなボールトンポール・デファイアントもここで買ったような気がする。
が、キットの在庫を見る限り、もう残っていないようなので、
後述するレオナルドに売り払ってしまったのかもしれない。
他には雷電もここで買ったと記憶している。飛燕のハ40やBf-110G-4のレシン製パーツ等も買った。
08 クリックして拡大 健在 レオナルド(ET,LG) 東京都台東区上野 地図(画像(LG) 座標(LG))
言わずと知れた有名店。秋葉原の電気街とは逆の方向に駅を降りて、
しばらく行ったところの雑居ビルの中にあったのだが、どうやら一回潰れて再スタートしたらしい。
というわけで、上記の情報は新しいものである。
当時からそうだったが複数店舗あるらしい。この店も航空ファンの広告で知った。
同店はとにかくキットの在庫がすごい。
ハセガワやドラゴンの廃盤になったようなキットが平然と山積みされている。
書籍やデカールも豊富で、私はここに来たら半日は出て来なかった。
また誰かが作った完成品も展示販売されており、96式艦戦が25万円で売られていたりと、
私も相模堂に完成品を持ってきて、などと頼まれたりしたことはあるが、
どう感じて良いのか分からない畏怖を覚えた。
さらにこの店の特色として、中古キットの買取りというのをやっていて、
郵送で売りたいキットの一覧を送ると買い取り価格を伝えてきて、
了承であればキットを宅急便で送ると、その価格で買い取ってくれるのである。
もちろん粗悪品は減額されたりするのだろうが、確か銀行振り込みだったと思う。
私は、ジェット機をやめた際にその大半と、タイに赴任になるときに
実家に運び込めない分の不要キットの、都合2回同店の買取りを利用したことがある。

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