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■2020年11月1日:AIR COMBAT II and III

いい加減おっさんになって、
生まれた時からインターネットがある世代の人と、
話が合わないことが多くなってきた。

携帯電話の登場も社会人になってからの我々にとって、
このギャップは大きい。

次々新しい流行語が電波に乗ってやってくる。
私などは活字も紙で読むのが好みだから、
新しい情報も、そんなに素早く頭に入らない。


ときは携帯電話の台頭で、ゲームセンターが潰れだしたころ。
もう少し前には、デジカメの登場で、写真屋が軒並み姿を消していた。
昔は、コンビニにフィルムを持っていって、1枚いくらで焼いてもらっていた。
あの頃は、そういうサービスの依頼をするとき、何と言っていたか?
「写真の現像をお願いします」だったか?

2000年くらいのことか。
2000年ごろというと、コンピューターの話ならWindows 2000とMEが発売された年だ。
私は、最初に就職した会社を辞めて、ソフマップでアルバイトをしていて
Windows 2000を売っていた。

この時代、ニートという言葉はまだなくて、フリーターというものが流行っていた。
私も、一時期それに染まっていたわけだが、
何とか半年で足を洗うことができた。


登場当時の携帯電話は、シャツのポケットに入れると、
シャツが垂れ下がるくらい重かった。
そして、聞き取りにくかった。

というか、切れるとか切れないを売り文句にする電話すらあった。
そう、トンネルや屋内に入ると接続が切れてしまうのだ。

そもそも、カメラなどついていなかった。

SONYのノートPCにBluetooth搭載の携帯電話をBluetoothで
接続してモデム代わりにして、PCでメールを送受信するなどと、
無茶なこともやっていた。


家の電話もジーコジーコ式の電話がプッシュ式に変わったのは、
だいぶ大人になってからだった。

今でも持っているが、最初に勤めた会社で○○周年として
社員に配られた記念品は、テレホンカードだった。
昔は、テレホンカードと図書券は2大市民権を持っていた。
図書券は電子機能が搭載されてまだ生き残っているが、
今では、テレホンカードを見たことのない人もいるだろう。

このころの未来を書いた漫画やアニメで、
線がつながっている電話が登場すると、微笑ましくなる。

今でも世界中で電話のマークを表すのに、
ジーコジーコ式電話の受話器の図柄が使われているが、
あれを実際に使っていた世代はいくつからだろう。


PCに関しては、何度も書いているように、
我が家にはDOS/Vが上陸したときから、
父のおかげもあって、DOS/V機があった。

当時はフライトシミュレーターが全盛で、
その他のゲームはプレイステーションでいいのだが、
フライトシミュレーターだけはそいつらではできないので、
PCを買う人もいたくらいだ。

Windowsは、DirectXによって、ゲームの世界を大きく変えた。
それまでSystem SoftのAIR COMBAT IIやIIIだかを
PC-9801でプレイしていた我々は、世界の隔たりを目の当たりにした。

そういえば、この時代のソフトハウスというのは、まだあって、
違う事業をやっている。改めて大変だなと思う今日この頃である。


さて、このころのゲームというのは、文字と線の集合だった。
それでも、それが画面内で動くさまを見て、我々は「すごい」と感じていた。
それこそ今時のゲームなど、「驚異」である。

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パッケージも、スカイフラッシュを装備したトーネードも、F-5の写真も、全部覚えていた。
このころは、フロッピーディスクのゲームだった。
もっとも、私が購入したのは3.5"だったが。

どんどん話がそれるが、フロッピーディスクというのは磁気だから、
置いておくと悪くした場合、データが消えてしまう。
私は何のゲームだったか忘れたが、壊してしまいメーカーに連絡して、
直してもらったことがある。確か\3,000くらい取られた。
それも、郵便為替を封筒に入れて送るのである。

いまどき、こんな古風な商法があるか!?
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ゲームスタート画面か?なんとなく、見覚えがある。
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全部インターネットで拾った画像で申し訳ないが、これがゲーム画面。
当時としては、すこぶるリアルだった。
多分、左の1枚だけがIIで、右の3枚はIIIだ。
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空母まで登場したのだったか?
残念ながら、着艦の記憶がない。
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こちらは、いわゆる外部ビュー、もしくはターゲット・ビューだろう。
こんな折り紙飛行機で機種を見分けるなどお笑い草だが、
これはポリゴンサーフェイスといって、当時は画期的な画法だった。


AIR COMBATで飛行機の操縦方法というのを初めて知って、
友人と驚嘆しあった。
この当時、まだそんなゲームはなかったのだ。

プラモデルの説明書には飛行機の操縦方法は書いていない。

さてそれで、以前にも少し書いているのだが、
ここで飛行機の操縦について延長して書くのもまた一興かと思う。

ただ、飛行機の動きを説明するのに、都合のいい道具がない。
実家に帰れば模型があるのだが、タイには持ってきていないし...
どこかに飛行機はなかったか?
なんならバルキリーでもいいのだが(笑

見つからなかった。
仕方がないのでインターネットを巡って探した。

クリックして拡大 それで、まずご登場いただくのはこの方。
ThrustMasterのFlight Control System。
スティックとスロットルがセットで
\15,000くらいしたと思う。
DOS仕様で、Windowsでも動くのだが、
なにしろ90年代初期のものだから、
動かすのにConfig.sysをいじくったりなんなりが
一苦労だった。
今はどこへやったのやら・・・
クリックして拡大 お次はこれ。
ラダーペダル。
この写真のものもThrustMaster社製のもの
らしいが、最近のものだろう。
私はペダルは確か、
持っていなかったと思う。


次に、飛行機の動翼について、まずは絵を見ていただきたい。


それではいよいよ解説に移る。
飛行機のアイコンはUS Navy Fightersのマニュアルから拝借したのだが、
機影によって機種が異なるのは許されるよう。

キーボード操作(テンキー)
多くの場合、
上昇が「2」
下降が「5」または「8」
まず、飛行機は操縦桿を奥に押すと.機首が下がって下降し、
手前に引くと、逆に機首が上がって上昇する。
これは、水平尾翼後縁についている、
昇降舵が操縦桿の動きに反応して動作することで機動する。
「1」および「3」
次に方向舵だ。これは一般の人でもよく聞く言葉ではないかと思うが、
垂直尾翼の後端についている、小さな板で、これが左右に振れることで、
飛行機の進行方向が変わる。この機動を”ヨー”と呼び、
操作はラダーペダルを踏むことによって行い、左を踏めば左に向く。
但し、ヨーは向き(進路)を変えるだけであり、旋回とは異なる。

では旋回とはどのようにして行うか?
水平飛行の状態から、
例えば左に旋回したい場合、
まずは操縦桿を左に倒す。
そうすると、機は左に横転する。
この状態を、「バンク」と呼ぶ。
このままずっと操縦桿を左に倒し
続けていれば、機体は
回転(ロール)を始める。

バンクは、主翼後縁の
エルロン(補助翼)が左右互い違いに
動くことによって制御する。

もちろん、旅客機は、こんなに深く
バンクしたりしない。旅客機でこんなことをしたら、
配られたジュースがみんなこぼれてしまう。
「4」
機体が横倒しになった状態で、
今度は上昇の操作を行うと、
機体は左に向かって旋回する。
バンクしたまま回転している状態を
「自転」、
旋回を「公転」と考えれば、
分かりやすいだろう。
「2」

・・・と、まあこのようなことが、AIR COMBATのマニュアルには
こと細かに書かれており、少年たちは大いに感心したものである。
繰り返すが、インターネットはまだなかった時代である。

そして、現実もそうらしいが、着陸が一番難しかった。
何しろ、失速速度に達したときには、飛行場の上にいなければならないのだから。
それもごく低空で。


AIR COMBATでだいぶ盛り上がってしまったが、
私にとってのインターネット元年は、96年か97年だった。
世界初のオンライン・ゲーム、DIABLOも現役で楽しんだ。
あの頃、電車の吊り革広告で、DIABLOを宣伝していた。

これはすごいことだった。
それまで、PC GAMEが電車の吊り革広告になることなどなかったからだ。

その次が、UOである。
この当時は、電話とモデムでインターネットに接続していたので、
月の電話代が5〜6万になった。
私は既に就職していたので、払えないわけではなかったが、
痛いことに変わりはなかった。

<続かない>


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■2014年8月24日:US Navy Fighters Gold
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カテゴリ:ゲーム



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