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■2021年12月21日:スパイ小説の世界へようこそ U- 11

13

ヌラディンは隠れ家を出ると、真っすぐにステートタワーを目指さず、
界隈を大回りに周って、建物に入った。
少しでも隠れ家を隠匿するためだった。

彼は西洋風の長袖シャツを着て、グレーのジャケットを着ていた。
下もグレーのスラックスを履いており、
まず目立たないだろう。
中に入ると、自信ありげにロビーを横切り、エレベーター前まで来た。

ここでは、ダッフルバッグなど持っていると、呼び止められると
ダープから聞いていたので、セムテックスは2kg分を薄く切って、
T-シャツと長袖シャツの間に両面テープで貼ってある。

上からジャケットを着ていれば、まず分からないし、
身体検査をされる心配もないだろう。

3kg持ってきたかったが、さすがにそこまで身に着けて歩くと、
重みのために汗をかいて不審がられる恐れがあった。
そういう危険は冒せないし、ステートタワーは意外と細身だ。
2kgでもビルを倒壊させる分には足りるだろう。
雷管はズボンのポケットに入れてあった。

エレベーターの前に着くと、若い男女の係員が、
どちらにご用件ですか?と訊いてきたので、
ヌラディンはにこやかに笑って上のレストランだ、
予約はしていないが、なに、大丈夫だろう?
と英語で答えた。

必要なら、笑顔も作れるのだ。

ところが、係りの男女はそう簡単には手放してくれなかった。
どうやら、目当ての店を指定しなければならないらしい。
要するに、上に上がっていく人数を下で管理しているらしかった。
満員の店があったら、さらにそこに客を放り込むわけにはいかないからだろう。

しかし、ヌラディンは面食らった。
どんな店があるかなど、吟味していない。
内心の狼狽を見せないように注意しながら、
係員が見せてくれたメニューの中から、「Breeze」という店を選んだ。
中華だそうだが、もうすぐ死ぬかもしれない身だ。
何でもよかった。


Mozuを出ると、五十男はコニーを連れてエレベーターの方へ向かった。

「ヌラディンはどこにいると考えているの?」

エレベータールームに向かいながら、コニーが訊いた。

「簡単な話さ。
このホテルは21-25Fが中層の宿泊棟。
51-59Fが高層の宿泊棟で、それより上がレストラン階だ。
あとはG階のロビーとこのMozuがあるM階。

それ以外にはエレベーターは止まらない。
中層と高層の間はコンドミニアムで、
そこで止まるエレベーターのキーは、
恐らく居住者しか持っていないだろう。

非常階段を使うかもしれないが、
非常階段は狭くて細いし、そんなところで他人に遭遇したら、
不審がられるからまず問題外だろう。

かといって、高層のレストラン階で爆発を起こして、
レストランだけ吹っ飛ばしても何もならない。
爆発の威力を下に指向するのは難しいからね。

下層で爆発を起こしても、下手をすると土台から上がずれるだけで、
崩れる前に客に避難されてしまう可能性が大きい。
だからそれも考えにくいんじゃないかな。

そもそも、そんなに大量に爆発物を持っていたら怪しまれるから、
彼は効果的に爆弾を仕掛けないといけないだろう。

つまり、21-25Fのどこかだろうね」

コニーが感心したようにうなずいた。
今日の彼女の服装は、現役のウェイトレス時代を彷彿させる、
動きやすそうな濃紺のスーツ姿だった。

一方の五十男はといえば、こちらもいつも通り。
どこにでもあるようなT-シャツとジーンズにメレルのブーツ。
この日は腕時計はWENGERをしていた。背負い鞄を背負っている。


エレベーターには、4〜5人の若い男女、
一組のビジネス・スーツ姿の年配の西洋人と乗り合わせた。
何の匂いかしらないが、エレベーター内は香水臭かった。
ヌラディンは、こういう西欧の風習を毛嫌いしていた。

ふん、中身がないくせに匂いなど付けてどうなるというのだ。
まあ、キリストの犬どもには相応しいか。
そんな内面の感情が表に出ないように、
ヌラディンは注意して乗り口とは反対の、エレベーターの壁に背中を預けて立っていた。

レストランは高層だけで、21-25、51-59が客室だと聞いていた。
ビルを倒壊させるには、その真ん中付近を中折れ式に爆破するのが、
最適な爆破手段だ。

そういう意味では、ダープは望みうる最適なカード・キーを用意してくれていた。
そのカードキーは25Fの部屋のものだった。
だから、彼は25Fでエレベーターを降りた。

エレベーターを降りると、左に曲がった。
見取り図は見てある。

部屋に爆弾を仕掛けるつもりはなかった。
このホテルの部屋は全て窓に面しており、
部屋に爆弾を仕掛けても、
爆発の威力の大半は窓の外に逃げてしまうとわかっていた。

角を曲がったところの、「STAFF ONLY」と書かれたパネルの前で、
ロックピックの道具を出して、鍵をこじ開けに掛かった。


ゴドフロアは、同僚たちと一緒に、黒っぽいコンシェルジュの制服を着て、
慣れない客の荷物の仕分けをしていた。

この職に就いて、2日目になる。
臨時雇いの安給料のな、と皮肉なことを考えた。

最初NIAにこの偽装を命じられた時、断ろうかと考えた。
はっきり言ってガラじゃない。

しかし、前回のシンガポールの任務で手柄をあげた同業者が、
今回も関係していると聞いて、受ける気になったのだ。

相手も暗殺者なのかどうか知らないが、まだ見ぬ正義の味方が。
彼は、一緒に働くことになる男と、その連れである女性の、
写真こそ見せられていないが、人相風体は聞かされていた。
見かければ、一度で見抜く自信があった。

横で自分と同じように客から預かった鞄にタグを付けている女性の同僚が、
何か甲高い声で自分に向かって言った。

「それ、そのタグじゃないわよ。
あっちのお客様の鞄よ。
ほら、その赤いやつ」

まいった。考え事をしていて、うっかりしていた。
そうでなくても、慣れない仕事に戸惑っており、
他の同僚たちから役に立たない新入りだ、と思われているのがわかる。

しかも、他の同僚たちと比べてかなり歳を食っており、
自分たちよりずっと老けたじじいが何で新入りとして入ってきたんだ、
と疑問に思われているのがありありと感じられた。

苦笑して顔をあげた途端、自分と同年代の男と、不釣り合いな
美貌の女性が連れ立ってエレベーターの方に向かって歩いてくるのが見えた。
あいつだ。

手を止めて、そちらに向かった。
後ろで、先ほどの同僚の女が何か言っているのが聞こえたが、無視した。
ふん、お前みたいに能天気なやつは、ネズミみたいにキーキー言っていればいいんだ。


「オオシマだな?」

背の高い西洋人のオヤジに英語で声をかけられて、五十男は最初びっくりした。
だが、すぐに合点がいった。
こいつがゴドフロアだろう。
コニーはきょとんとしていた。

「行こう」
そう言われて、五十男はうなずいた。

三人はエレベーターの前に行った。
このホテルの場合、G階のエレベーター前に人がいない、
ということはないので、怪しまれないようにしなければならない。

ホテルの制服を着たゴドフロアが、訳知り顔で女性係員にウィンクすると、
女性係員はにこやかに笑って通してくれた。

エレベーターが来て開いたが、他の客がどっと乗り込んだ。
五十男はそれには乗らずに、次に来たエレベーターに三人だけで乗り込んだ。

乗り込むと、コニーに通訳してくれ、と頼んで、
来た目的はヌラディンか?とゴドフロアに訊くと、
彼はそうだというようにうなずいた。

ゴドフロアは五十男のWENGERを指差して、
「いい時計だな」と言ってにやりと笑った。

「ターゲットはどこにいると思う?」
またゴドフロアが英語で訊いた。
コニーが五十男に通訳する。

「オレは21-25階のどこかだと思う」
今度はコニーがゴドフロアに英語で言った。
どうやら、このシステムはうまくいっているようだ。

ゴドフロアはうなずいて、「手分けしよう」と言った。
3人は21階で降りた。

「やつは部屋には仕掛けないと思う。
部屋に爆弾を仕掛けても無意味だ。
その方法だと、ビルの倒壊に至るには、相当な量の爆薬が必要だ」

五十男がゴドフロアに向かって言った。

「同感だな。
多分、エレベーターの制御室か何かに仕掛けるだろう。
オレはこの階を調べるから、君たちは上の階から調べてきてくれ。
エレベーターを使わなくても、階段もあるはずだ」


鍵をこじ開けるのは、意外と手間が掛かった。
そこは設備室のようだった。
5分くらいごそごそやっていたような気がする。
その間、誰も通りかからなくて幸いだった。
爆弾を仕掛けるのは設備室に限る、とヌラディンは皮肉なことを考えた。

設備室は、狭くて暗かった。
100円ショップで売っているような、小さなLEDライトを出して照らした。
見たところ、ボイラー室のようだった。

爆弾の置き場所に困った。
薄く切ったセムテックスは、幅10x20cmくらいで2cm程度の厚みがある。
それが4片だ。

棚のようなものがあれば、重ねて置いて雷管を突き立てればいいのだが、
ここにあるのは丸っこい設備だけだ。

思案していると、消火器があるのに気付いた。
その脇は比較的広いスペースがあって、爆薬を置くことぐらいできそうだった。
火が出る前に吹っ飛ばされれば、消火器も用をなさない。

そんなところに置いてあったら、危険物であるのがありありだが、
そもそもこんなところに爆弾があること自体、誰も知らないのだから、
見つかる危険を心配する必要はない。

場所が決まると、彼は上着を脱いで、セムテックスの塊を
シャツから慎重に外した。

外したセムテックスは、ひとつずつ消火器の脇に重ねて置いて、
4つを積み重ねた。
次にまずはもう一度上着を羽織ってから、
ポケットから雷管の箱を取り出し、10分のものを選ぶと、
ポキリと折って一番上のセムテックスの上から差し込んだ。

鉛筆型時限信管の最大の長所は、なんといっても扱いが容易なところだ。
手の込んだ装置はかさばるだけで、
それとわからないように持ち込むだけでも苦労する。

彼とて逃げるチャンスがあれば、命は惜しい。
アッラーとて次の任務に邁進すれば、お許し下さるだろう、
と考えて思わずにやついた。


階段はエレベーターを降りてフロアを曲がったすぐのところにあった。
それを早足で25Fまで上がった。
こんなことならエレベーターを降りるときにゴドフロアと別れるべきだったと、
あとで五十男は後悔した。

コニーはヒールなので彼より少し遅れている。

このホテルは都合が良いのか悪いのか、
従業員専用区画が、エレベーターのある区画周辺に集中している。
客室はその一角とエレベーターを囲むように、外周を取り巻いている。
そして、さらに捜索しやすいことには、各階ともほとんど同じ構造になっている。
眺望を売り文句にしているから当然なのだが、
テロ対策も考えているのではないかと勘ぐりたくなった。

ま、結果的に仕事がしやすくなったのだからいいか。

エレベーターの角を回り込んで、従業員専用区画の方に向かった。
ゴドフロアと分かれてから、頭の片隅で、
彼と連絡を取る手段がないことには気付いていた。
だから、彼は歩きながらコニーに言った。

「これからはほとんどしゃべらずに行くよ。
僕が手で下を指さしたら、きみはゴドフロアを呼んできてくれ」

コニーが真顔でうなずく。

25階の従業員専用区画に着くと、
「STAFF ONLY」と書かれた部屋らしき区画が、いくつかあった。
そのうちのひとつに慎重に近づくと、顔を横にして耳をパネルにくっ付けた。
・・・何も聞こえない。

次のパネルにも同じようにした。
こちらは、ブーン、という何か機械の音がする。
設備室なのだろう。かすかに熱気のようなものも感じる。

こんなことをしていて、爆弾犯は見つかるのだろうか、という焦燥感を覚えた。
そもそも、本当に爆弾犯が来ているのだろうか?
ゴドフロアは下で出張っていながら、何も見つけられなかったのか?

そこで五十男は考えた。
爆薬を仕掛けるには、なにかそれに相乗効果があるような設備を選ぶんじゃないか?
例えば燃料庫とか。ホテルにそんなものはないだろうが、
ここには何かそれに類するものはないだろうか・・・

ふと鍵穴を見た。
折りたたみ式のハンドルが外側に付いていて、丸い形状をしてる。
今、折りたたみ式の取っ手は折りたたまれてパネルと水平になっているが、
中央に鍵穴があり、その周辺の金属が、わずかに外側にめくれていた。
鍵を使って開け閉めしていたら、ああいうふうにはならない。
屈んで鍵穴周辺をもっとよく見ると、めくれている部分は、
金属の表面が削れて素地が見えている。

もう一度パネルに耳をくっつけた。
今度は物音が聞こえた。
何かざらざらした物音だ。
あれは、靴が地面を擦る音だ。
中に誰かいる!

五十男は急いでコニーの方を振り向いて、
手をそっちにやって指を下に向けて何度か振った。

コニーは、夫が合図をしているのを見た。
彼は、滑稽だが口もぱくぱくしている。
その仕草を見て、彼女は慌てて了解したしるしに首を上下に振って、
ゴドフロアを呼びに戻って行った。

コニーが立ち去るのを見届けると、
五十男はカバンからさっきレストランでくすねてきたナイフを取り出した。

彼は、ここで突入すべきではないだろうとわかっていた。
ゴドフロアの到着を待つべきだ。
とはいっても、中にいるのが爆弾犯で、ゴドフロアが来る前に、
中から出てくるかもしれない。
そのときは、自分がとらえなければならない。

プーからアジトを奇襲した際、テロリストが武装していたことを聞いていたので、
五十男はヌラディンも銃器を所持していると確信していた。
ただ、彼の目的は爆弾を仕掛けることなので、
それを積極的に使うことはないだろう、とタカをくくっていただけだ。
願わくは、ゴドフロアが疾風のように現れることを祈るのみだ。


ゴドフロアは23階のチェックを終えて、階段に向かおうとしていた。
同僚のオオシマが25階に向かっていたので、
次の階で終わりだろう、と思っていた。

すると、ターゲットはここにはいないのか?
彼が下で下手な芝居をしていたときも、
怪しげな人物は見なかった。

少なくとも、彼はそう見ていた。
あるいは、下でも向いているときに、見逃したか。

階段の下にたどり着いたところで、上の方から彼の名を呼ぶ声が聞こえた。
オオシマが連れていた、例の美女だ。
はっきりした発音で、声まで美しい。
彼はオオシマがうらやましくなった。

急いで階段を駆け上がりながら、ポケットの中の銃を取り出した。
今回は、SIGザウエル P226だった。
前回は、より小型なP229だったが、タイのベルギー大使館では、
これしか用意できなかったのだ。

制服の上着の内側に手をやって、サイレンサーを取り出すと、
素早くSIGザウエルの銃口にねじって装着した。

「見つかったんだろう?」
迎えに降りてきた女性に訊いた。

「多分そうだと思います」
コニーが答えた。彼女は、軽く息せき切っている。
まったく、感心するような美しい女性だ。

「わかった。
きみは角を曲がったところで待っていてくれ」

ゴドフロアはそう言って急いでその角を回り込んで行く−−

と、前方で誰かの声が聞こえた。
男の声だ。
もみ合っているような感じだった。

後ろで、コニーがはっと息をのむのがわかる。

ゴドフロアは、落ち着いて両手で持ったSIGを前に突き出した。


仕事に満足したヌラディンは、早々にここを出ようとした。
雷管を仕掛けた以上、階段を駆け下りてでも、
このビルを出なければならない。
少しでもビルから離れないと、巻き添えを食う。

扉を開けた瞬間、五十男と鉢合わせした。
驚く時間すらなかった。

相手は待ち構えていた様子で、手には食事用のナイフを持っていた。
すぐにその手を振りかざし、ナイフをヌラディンに突き刺そうとした。

ヌラディンは刺されてはたまらぬと、自分の手をあげてその手をつかむ。
しばらく両者はにらみ合ったまま対峙していたが、
背も体格もヌラディンの方が勝っていた。
しかも、ヌラディンは何度も死闘をくぐり抜けてきた猛者だ。
次第にヌラディンが五十男を圧倒し、五十男に覆いかぶさるように組み伏せようとした。

二人の口から、うめき声が漏れる。


コニーは、その場に凍り付いてしまった。
最愛の人がテロリストと格闘と呼んでいいものかどうかわからないが、
とにかくもみ合っている。

しかも、五十男の方が形勢不利だというのは、素人の彼女が見ても分かった。

その場に不釣り合いな情景が脳裏をよぎる。
一緒にデートした公園、ともに旅したプーケット、二人でとった夕食・・・
その相手を、もしかしたら次の瞬間に失うかもしれないという思いに、パニックに陥りそうになる。
目の前が真っ暗になって、いてもたってもいられなくなった。

彼女は自分の身の回りを探したが、武器になりそうなものは持っていない。
素手ででもテロリストに飛びかかろうと考えたとき、前にいるゴドフロアが発砲した。


ゴドフロアがSIGを構えた時、二人の男は動いていたので、
誤射の危険があった。
だがそのうちに、ターゲットの方が体力が勝ると見え、
五十男を組み伏せようとしていた。
しめた。
これならターゲットを狙えるし、相手はこちらに背を向ける格好になっている。
ただし、五十男と重なり合っているから、胴体は狙えなかった。
弾丸が貫通したら五十男にあたってしまう。

ゴドフロアは、ターゲットの太ももを狙ってSIGを撃った。


突然、足に激痛が走り、ヌラディンは足の力が抜けて崩れ落ちた。
何が何やらわからず、首だけ後ろを振り返ると、背の高い白人の男が
こちらに銃の狙いをつけていた。

「今のうちに部屋の中を調べろ」

ゴドフロアが五十男に言った。

アドレナリンが分泌していて興奮状態にあった五十男は、
肩で息をしていたが、それでも黙って部屋の中に入った。
LEDの懐中電灯を鞄から出して、明かりをつける。

部屋の中はボイラー室のようだった。
至る所に丸い管が走っている。

ここのどこに爆弾が仕掛けられているんだ?
いっそ戻ってターゲットを訊問した方が・・・

そのとき、それが目に留まった。
消火器の横に、茶色い餅のような板状のものに、
ボールペンのようなものが突き立てられている。

あれが雷管だろう。
五十男は狭い空間をそろそろとそっちに移動して、その雷管を抜き取った。

ふう、妙な時限装置の類でなくてよかった。
雷管を持って部屋を出て、ゴドフロアの方にそれを勝利の印のように掲げて見せた。
そのころには、ゴドフロアはどこに持っていたのか、
ヌラディンに手錠を掛けて片方は自分の手首につなげていた。

コニーも来ていて、
「あなた!」と叫んで駆け寄ってくる。

五十男に抱きつくコニーを見て、ゴドフロアが言った。
「お嬢ちゃん、喜ぶのはまだだ。
オオシマ、オレがこいつを見ているから、
その間にあんたは連中に電話をしろ。
衛星通信式の携帯電話を持っているんだろう?」

五十男はうなずいて電話機を取り出して、
NIAに電話を掛けた。

出たのはプーだった。
「もしもし?首尾はどうです?」

「ゴドフロアと合流して、やっこさんがターゲットをとらえた。
爆弾も無力化したよ。セムテックスだった。
我々は今25階にいる」

「わかりました。
申し訳ありませんが、もうしばらくそこにいてください。
こちらの人間が到着したら、あなた方は引き揚げていただいて構いません」

「了解した」


10分くらいしたであろうか。
タイ陸軍の特殊部隊の戦闘服姿の兵士が4人やってきた。
恐らくアジトを奇襲した連中だ。
そっちの作戦が成功した後、撤収せずに待機していたのだろう。

「どこから来たんだ?」
五十男は気楽に聞いてみた。

「非常階段からですよ」
ゴーグルをして顔の分からない隊員がそう答えた。

「ほんとに?25階まで?」

「あなた方とは体力が違うんです」

「まいったな、かなわないよ」

そう言って五十男はコニーと顔を見合わせた。

手錠でターゲットと繋がっているゴドフロアは動けないので、
彼は恐らくターゲットを連行する特殊部隊員に同行するのだろう。

五十男とコニーは、ゴドフロアに手を振ってその場を後にした。
離れるとき、ヌラディンの顔を盗み見た。
不機嫌そうに、むっつりしていた。

それはそうだろう。
アッラーのために天に召されるのが延期になったのだから。


「いい人ね」

エレベーターでG階まで降りるとき、コニーがそう言った。

「誰がだい?
ゴドフロアがか?
正義の味方ってのは、あんなものだろ」

G階に降りると、ホテルの入り口のスターバックスがまだ開いていたので、
二人はそこに立ち寄ってコーヒーを買った。

「さっきは心臓が止まるかと思ったわ」
とコニー。

五十男も安堵の波が押し寄せてきていた。
一方、アドレナリンの分泌が収まって、疲れも出てきていた。
今日は早く帰って寝よう。

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14

ジャワリはリドワン、アリーと別れた後、ホテルに正面から入っていき、
エレベーターの前で係員に止められた。

ダッフルバッグを持っているからそれは置いて行けという。
彼は何も言わずに、慌てず、そのまま引き返してホテルを出た。

AKS-74Uが入っている鞄を渡したら、元も子もない。

先にヌラディンが建物に入っているのは知っていたから、
彼はヌラディンに何かあったとき、後を引き継ぐのは自分の使命だと思っていた。
そのためにはAKが必要だ。

この巨大なビルの脇は、露店がいっぱいある。
彼は左右を見渡して、ごちゃごちゃした方の路地を選んだ。
いくつかの店は閉まっていて、そこに寄せてある屋台の椅子に座っていても、
怪しまれることはなさそうだった。

ジャワリは積んである椅子を降ろして、誰もいない屋台のテーブルの横に置き、
影になるようにそこに座って待った。

ダッフルバッグは膝の上に置き、いつでもAKを取り出せるようにしておいた。

彼らの隠れ家を急襲したタイ陸軍特殊作戦群の隊員は、
消音機を付けた銃を使用していたため、彼は隠れ家が襲撃されたことを知らなかった。
手榴弾の爆発があったが、彼が潜んでいるところは、通りを2本隔てているため、
音がそこまで聞こえてこなかった。

差し当ってジャワリの考えは、彼の考えるある程度の時間が経っても、
ヌラディンが姿を見せなかった場合、ホテルの前の開けたところで、
銃を乱射して果てよう、というものだった。

稚拙だが、メッセージにはなる。


五十男は気楽にホテルの外に出た。
左右を見て、どちら側の路地がいいか考えた。

目の前の通りの方がタクシーをつかまえるには好都合だが、
脇の細道の方が、場末っぽくて彼の好みには合った。

「あのねぇ、そんな薄暗い通り、わたしが好きじゃないのは知ってるでしょ」
すかさず五十男の考えを読んだコニーの突っ込みが入る。

「やっぱダメか」
苦笑して、横にいたコニーの方を見た。

「当たり前でしょう?
何のためにスターバックスのコーヒーなんか買ったのよ」


そのとき、後ろから叫び声が聞こえた。
振り返ると、中年のタイ人のおばちゃんが、口を手で押さえて、
反対の手で前方を指さしている。

なにやらかなりの慌てようだ。

五十男はそちらの方向を見て仰天した。
コールテンのズボンにグレーのスウェットシャツ、
という格好の若者が、小型のAKと思しき銃を持っている。

顔は、アラブ人のようだった。
その男は、真っすぐ五十男たちの方に向かってきていた。
AKの銃口も、こちらに向いている。

五十男はコニーの手をつかんで方向転換させようとして、
その手に熱いコーヒーカップを持っていたことに気が付いてまごついた。
いかん、ドジを踏んでいる場合じゃないぞ−−

アラブ人はどんどん距離を縮めてきていた。
コニーは凍り付いたように動かず、五十男の顔を見つめている。
まるで、どうしたらいいの?と言わんばかりだ・・・


ジャワリにしてみれば、夜の帳がすっかり降りたこの時刻になって、
まだ現れないということは、ヌラディンは失敗したと考えていた。
あるいは、もたもたしていてまだ目的を達成できていないか。
どちらでもよかった。

ジャワリは捨て鉢になっていた。
自分は短気だと思っていた。
実際には、自制が利かないだけなのだが、
彼はここまで来た以上、何もしないわけにはいかないと考えていた。

目の前の身なりの良い美女は、
丁度いい見せしめになるはずだった。
人を殺すのは初めてだし、人に向かって銃を撃つのも初めてだった。
人を殺すとどんな気がするものだろうか?

どうでもいい。
彼は銃を打ち尽くして、恐らく治安部隊が出動してくるだろうから、
戦って果てるつもりだった。


五十男はコーヒーカップを持っていない方の手で
コニーの手を引いて後戻りしようとした。
そのとき・・・

ビュンッ!

目の前を何かが空気を切り裂いて飛んでくる音がした。

ドンという大きな音がして、目の前に迫ってきていたアラブ人の体が、
横ざまに放り出された。

ユノだ。
五十男は瞬時にそう悟った。
どこにいるのか知らないが、またしても彼らを救ってくれたのだ。
飛んできた弾丸の重い感じからして、口径の大きな弾だ。
狙撃銃だろう。

どこかで、彼らの動きを見守ってくれていたのだ。


「さあ、急いで」

「え?え?」

五十男はコーヒーカップを持っていない方の手で、
コニーの服の袖を引っ張った。
コニーは事態を把握していないようだったが、
そんなことに構っている場合ではない。

二人はホテルのエントランスに戻ると、丁度良くタクシーが待機していた。
タクシー待ちの客はいなかったので、まだ表の騒ぎを知らないドアボーイが、
二人をタクシーに乗せてくれた。

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ようやく家に帰ると、五十男はさっそくトクに電話した。

「大丈夫でしたか?」

五十男を本名で呼ぶトクが、出るなりそう言った。

「ああ、やっぱりあれはユノだったんですね」

「誰とは言えませんけど、現地で張っていた僕の配下のものから、
○○さんのピンチを救ったと報告がありまして」

「またしても命を救われました。
ありがとうございました」

「どういたしまして」
トクは短くそう言って電話を切った。


「あれはやっぱり銃弾だったの?
ユノだったのね?」

コニーが訊いた。

「誰だかはわからない。
でもまたトクさんのところの人に救われたのは事実さ」

五十男はそう答えた。
いい加減、冒険する歳ではないのかもしれない。

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