恒例の4半期毎バンコク写真集。
今年の6月いっぱいで管理人もバンコク在住6年目に突入する。
久々ソンブーンに来た。
やはりソンブーンのプー・パット・ポン・カリーは最高だ。
金槌が壊れてしまったのでCentral Chit Lom店に買いに行ってきた。
同店5Fの電気製品売り場「Power Buy」の直ぐ手前に工具売り場がある。
以前はEkkamaiのBig Cにも工具屋があったような気がするのだが、
Sukhumvit界隈にはこういう店は中々無い。いや、汚い街の金物屋みたいのは
いくらでもあるのだが、そんなところで買いたくないじゃん?
ちなみに金鎚はタイ語で「クローン」だが、似たような音の語が沢山あるので、
なかなか通じない。
私の贔屓店、Charm Thai (Bangkok07 8-10月/Bangkok08年 1-6月/
Bangkok09年 8-12月/Bangkok11年 1-3月)の料理、
プラー・ガオ・サム・ロット(白身魚の甘酢ダレ)、455THB。
高いが上品な味だった。この店は味も雰囲気も気に入っている。
チューチー(レッドカレーソース)・プラーヒマはもう出していないそうだ。
トンロー ソイ4の「THONG LOR TOWN CENTER」内TOPSスーパーマーケット2Fに
出来たしゃぶしゃぶ店、「かごの屋」。高い。
トンロー ソイ8の「Ei8ht」(Bangkok09年 1-2月/Bangkok10年 4-6月
/Bangkok10年 7-9月/Bangkok11年 10-12月)
地下に出来た「ただいま」。料理一品99THB。美味くは無いがこの値段なら我慢できる。
同じく「Ei8ht」 1Fに「SECRET WEAPON」なる店が出来たので何かと思ったら、
ただの鞄屋だった。こんなのが秘密兵器だったら世も末だ。
単品メニュー。寿司の値段は1巻当りのもの。つまり、写真にあるように
2巻欲しければ表示の倍の料金が掛かるということだ。
ちなみに”Sushi Price for 1 piece”の記載の下に書いてあるタイ語は、
直訳すると”ラーカー(値段) チュー チー(寿司) ペン(be動詞)
ラーカー(値段) トー 1 カム(1巻当り)”となる。
チューチューとかカムとは訛りもいいところだ。
たこサラダ。180THB。美味かった。
寿司Aセット、300THB。不味かった。しゃりが酸っぱ過ぎて、
味のレベル的にはZENと同等だった。
妻がやれ海苔が干からびてるだの米が生臭いだのくそ文句を垂れていた。
最近はまっている、スターバックスのブルーベリー・チーズ・ケーキ、125THB。
美味いが私一人で1個は食べ切れない。
スクンビット ソイ51の路地の地仏。相変わらず手入れが行き届いていない。
ところでソイ51と言えば、先日深夜に強盗があったらしい。こんな路地じゃね。
我が家の近所(トンロー ソイ5)の路地のドブ。
反対側のソイ9はこちら。
朽ち果てた家が見える。
パンティップ・プラザ付近の民家。華やかな街も裏はこんなものだ。
会社にネズミが住み着いている。
ピカチュウがネズミ取りに掛かった。ぴくぴくしていた。
仕掛けの真ん中に餌をセットする窪みがあるが、そこに撒いてあるのはふりかけである。
罠を仕掛けた人物(私ではない)の一流のユーモアだ。
さて、この写真を見て「残酷だ」とか「残虐だ」とかまたは「犯罪」だとか
果ては「エグイ」と言う輩が必ずいるだろう。
そこで提起してみたい。例えば残酷だとして、何が残酷なのだろうか?
@生き物を殺傷すること自体が残酷
A例えピカチュウが害獣だとしても、殺し方が残酷
ではまず@の場合。もちろん、何人にも生殺与奪の権は無い。
しかし考えてみて欲しい。ネズミでも豚でも鶏でも牛でも犬でも何でも良い。
あなたが普段食する動物はどのようにして食材になるのか?
そう、殺されるのである。それならそれらの生物がどのように屠殺されるのか、
あなたはその現場を見たことがあるだろうか?
状況にもよるが、「残酷」そのものである。
第二に、Aのケースだが、そもそも害獣だとしたら殺し方に残酷も糞も無い。
警察はテロリストを射殺する際に手段など選ばない。
迷っている間にこちらが被害を受けることもあるからだ。
ネズミが撃ってくるわけがないって?
とんでもない。タイではまだまだ狂犬病は絶滅しておらず、
あらゆる温血動物は狂犬病菌を保菌し得る。噛まれでもしたら事だ。
そしてある生物が”害”を及ぼし得るかどうかの判断だが、
それこそそんなものに基準は無く、判断は人それぞれであり、その時々の状況で変わる。
私は仏教の高校を卒業したが、そこは経典を体罰の道具にするようなところだった。
仏教の授業があったが、ある夏の日、授業中に窓から入って来たスズメバチを
同級生の一人がノートで叩き落とした。
それを見た授業の剥げた担当教諭は「生き物を殺した」と言った。
さらに間抜けなことにハゲは「あの蜂があなたに何かしたんですか」と生徒に詰め寄った。
そして問題のコマッタちゃんは「刺されたらどうするんですか」と答えた。
教師は回答する代わりに教室を出て行ってしまった。
その行為を職務放棄と呼ぶかバカと断定するかは別として、
確かに宗教の教えとは相容れないかもしれないが、
そんな考え方では世知辛い現代を生き残れないのは事実だ。
多分、あの時の教員は今頃蜂に刺されて死んでいるだろう。
それはともかく、他の生物を殺めるのは人間が生き残るために必要なことであり、
とりあえず食べなくても済む動物だけ保護するなどという戯言は、人間の詭弁なのである。
ましてや、天然危険物などと呼び殺傷可否を決める行為は、勘違いもいいところだ。
グリーンピースだのシーシェパードだのといった団体は高尚な理想を掲げているが、
そんなものは所詮趣味の域を出ないのだ。
既に述べたように、生死の判定など誰にも許される行為ではないのだから、
死するものにごめんなさいして食べるしかないのである。
肝心なのは、生物に感謝の念を忘れないことだ。