■2014年9月10日:妻が虫垂炎に罹る
8/15朝、というか夜中の2時半に嫁さんに叩き起こされた。
腹が痛いから病院に連れて行けという。
私は、この時間など緊急医しかいないだろうからどうせ処置は翌朝になるだろう、
朝まで待てないのか?と訊いたが、
彼女に「虫垂炎(サイティン=虫垂 アクセープ=炎症)だったら私死んじゃうわよ」
と言われ、仕方なくタクシーを呼んで連れて行った。
私は以前に学んで「虫垂炎」というタイ語は知っていたのだが、
虫垂炎と盲腸が一般的に同じ病気だということは知らなかった(無知)。
会社の人に訊かされてびっくりした。
ちなみに盲腸は(ラムサイ ヤイ シーカム)という。
実は、シンガポールに行く前だったと思うが、数か月前にも同様の症状が起きていて、
その時は平日だったので妻は自分で病院に行ったらしいのだが、
薬をもらって適当にごまかしてしまったらしい。
その後悪くなるようであればもう一度来なさいと言われ、
悪くならなかったので放っておいたらしい。
サミティベート病院に電話して救急車を呼んでやろうとしたのだが、
私が告げた我が家の所番地を係員が「分からない」と言い、
日本語スタッフに代わるから待て、と言われ腹が立ったので電話を切ってしまった。
日本語スタッフなどくそくらえだ。
考えてみれば、アパートにピーポーパーポー救急車が幅を利かせてやって来るというのも
みっともなくて願い下げだ。
駐在日本人妻達の野次馬根性は、本国日本とは比較にならないくらい強烈だ。
その後何回も病院から電話が掛かってきたので、鬱陶しいので電源を切ってしまった。
病院には案の定緊急医しかおらず、担当医によれば婦人科医がいないので朝まで待てという。
そこで一晩泊まることにしたのだが、この時に、綺麗なおねえちゃんが来て
やれ宿泊病棟の料金をこの中からお選びくださいだの、
病院のポリシーで5万バーツのデポジットをいただきますので、
カードでお支払いくださいだの、人の神経を逆なでするような対応が癪に障った。
なおこの日のタイバーツの為替レートは、1THB = 約3.21円。
こちとら金などどうでも良いから必要なことをしてくれ、という感じなのだが、
要するに
「金のない奴は死ね」
ということなの?
違う?
いやいや、だってそういうことでしょ?
言っていることは違わないじゃん。
妻は何らかの注射を何本か手に打たれ、それだけでだいぶ苦痛が和らいだらしく、
そのまま安楽死しそうな表情になった。
妻に付き添ってくれと言われたが、私には仕事があり、
何だか症状の判断が付かない状態で残るわけにはいかないので、
義姉さんか義妹さんに電話しておいてやるから、と言って帰宅した。
もし、前にあんたが2,3日寝こんだ時は付き添ってあげたじゃないと言われたら、
お前には仕事が無いだろう、と言ってやろうかと思ったが、彼女はそうは言わなかった。
見たところ、そんな元気もなさそうだった。
いや、仕事を休むにしても上司や社長には口頭で説明する必要がある。
診断されていない状態ではその説明がつかない。
私はそう信じているのだが、常識だろう。
4時頃帰宅して、2時間ばかりまんじりともしなかったが、6時には寝れたと思う。
7時に義姉さんに電話した。
最初に妹さんが虫垂炎に掛かりました、と告げた時点で義姉さんは驚かなかったので、
あ、これはもう嫁さんが先に連絡したな、と思いつつ一通り状況説明をすると、
義姉さんは私のたどたどしい話を聞いてくれた上で、
「さっき妹から連絡があったわ」と言った。
そして自分と妹が(妹さんは露天商なので問題ない)仕事を休んで付き添いに行ってくれること、
私自身は行かないのか、と訊かれたので、
私は先ほど妻を病院に連れて行ったのだと告げたところ、納得したようだった。
8時頃、妻から電話があり医者が言うには
「現時点で96%の確率で虫垂炎らしく、100%確定するためにはなんとかスキャンによるチェックが
必要らしいのだが、そのチェックには数万バーツ掛かる為、現状で開いてしまって良いかと
訊かれているのだがどうすればいいか?」と連絡してきた。
自分で決めろ、という感じだがそうは言わず、
その医者に訳の分からないことを言うなと言え、と言った。
開いてみてから4%の確率で他の要因だったらどうするというのか?
むしろその場合どうするプランなのか聞きたい。
プランなど無いのだろう。
このとき、妻は卵巣がどうとかいう話をしていた。
(妻はアンタ(=精巣)サーオ(=女)と言い、アンタ サーオと辞書を引いても載っていなかったのだが、
卵巣という言葉を辞書で調べるとラン カイ カーンと載っていたが、
ルーク(=子供)アンタで「睾丸」という意味なので、
アンタ サーオも卵巣という言葉と思われた。子宮はモットルークという)
卵巣炎の心配をしているのだろう。
ほれ言わんこっちゃない(医者に対して)。
この病院は夜になど行こうものなら、従業員は片っ端からインターネットで遊んでおり、
係員はいっぱいいるので、各係員は自分の担当業務が終わると
(例えばレントゲン室に患者を案内するのが終わると)、すかさず引き出しからタブレットを引っ張り出して遊んでいる。
ある時など、妻が医師に呼ばれて診察室に入ると、医師は例によってタブレットで玉突きをしており、
「もう少しで終わるからちょっと待ってて」と言われ、妻はいい加減にしろと怒鳴りつけたそうである。
タイは一億総白痴化を具現している国だ。
何とかスキャンは他の患者が使用中とのことで何時間も待たされたそうで、
結果が出たのは午後になってからだった。
虫垂炎で確定らしい。
医者は直ぐに手術して切ることができるし、直ぐに切るべきだと言っているのだが、
10万バーツ掛かるとのことで、妻は一旦診察室を出て来たとのこと。
これは彼女の判断。
それでどうするのかというと、私が勤める会社の近所にある病院だと、
以前義姉さんの勤め先のオーナーのお子さんが処置を受けた際に、3万5千バーツで済んだという。
本当かよ?子供と大人で値段違うんじゃないの?
むしろ妻は手術と聞いて怖くなったのではないか。
少し(数日間)様子を見たいが、妻がどうすれば良い?と訊くので、
私はさっさと切っちまえと言った。
今を凌いだところで、また何か月かして再発したらどうするというのか?
彼女はいやだ、今日は家に帰ると言って電話を切った。
私としては金の問題ではないし命は金では買えないので、最良と思われる処置をしてもらえと伝えてあったので、
思うにこの時、私が手術中、見舞いに行ってやるかやらないかをはっきりさせていなかったので、
彼女はへそを曲げたのではないか。
私は以前、妻に「私が死ぬと分かったらあなたは見舞いに来てくれるかしら」と訊かれたことがある。
それは行くだろう、当然。
まず第一に、たかだか盲腸で手術に立ち会うというのはおかしな話だ。
最近世間では妻の出産に立ち会う軟弱な夫が流行らしいが、私は違う。
難産が予想されるので付き添う、それはありだ。
だが通常の出産なのに妻に付き添うというのはどうかと思う。
それで、その人の仕事に対する価値観が分かる。
私は仕事に命を懸けているつもりだし、懸けるもののない命になど価値がないと考えているし、
だから何があっても会社には行くつもりだ。
妻には申し訳ないが、私はこのとき犬の方がもっと大事だと感じた。
普通は犬の方が人間より先に死んでしまうのだから当然だろう。
誤解のないように言っておくが、犬と仕事と妻のうちどれかを選べ、
と言われたら妻を選ぶが、これはそういう話ではないだろう。
誰もいないのならともかく、現時点で4人(たまたま田舎から遊びに来ていた義姉さんが一人と、
比較的近所に暮らすもう一人とそのご主人に、妹さんが一人)もいるのだからいいだろう。
そもそも、医者がいるのに、なぜ私が行く必要がある?
医者は何のためにいるのだ?
もし、自分は妻が一番大事だという人がいれば、それはそれで結構。
ただ、それは単なる見解の相違であり、悪いが拝聴するつもりはない。
私は妻と仕事とどちらが大事かと言われたら、仕事の方が大事である。
妻を失ったら生き返らないが、仕事を失っても妻を養えないのだ。
そういう時くらい仕事を休んでも誰も文句は言わないよ、という意見もある。
私が一日仕事を休んだからといって他の社員が食いっぱぐれることはない。
だが、そういう問題ではないのだ。
何が言いたいのかと言うと、心構えの問題なのである。私は仕事を休みたくない。
こういう場面で仕事を休もうとする輩は、常日頃から隙あらばサボろうとするものである。
この期に及んでプライドみたいなものが鎌首をもたげてきて、
私はプライドとか、傲慢とか、傲岸不遜とか、そういったことが大嫌いなのだが、
自分でも意外なことにそれを自制できないことに驚いた。
妻は私が行けば喜ぶだろうし、
私は自分が行くだろうということは分かっていたのだが、
自分の信念を誰かに曲げてほしかった。
誰かにお前はくそくらえであって、お前が嫁さんの代わりに死んだ方がましだと言ってもらいたかった。
誰かがオレがお前をあの世に送ってやる、と言ってくれても良かった。
妻の生命に影響があるかもしれないというときに、実にくだらない話なのだが、
私は褒められるより叱られた方がやる気を出す人間なのである。
そこで、実家の両親に電話して判断を仰ぐことにした。
実家に電話すると、たまたま姉が帰省していて電話に出たので、まずは彼女に状況説明をすると
「私だったら旦那に居てほしいと思うし、私の旦那はちょっとした事情で私が胃カメラを呑んだ時もいてくれたよ」
あんたに訊いてねえよ。
姉のご主人は天下のIBMに務めるエリート社員であり、クリスチャン企業の方針など参考にしたくない。
母にはあっさり「いてあげなさいよ」と言われ面食らった。
彼女は姉を出産した時も、私を出産した時も、自分で電話してタクシーを呼んで病院に行ったような
剛の人なので(もちろん父も出産に立ち会ったりはしていない)、この回答は意外だった。
ここはやはり父の意見を聞くべきだ。
大手企業を40年勤め上げて退職した人物の判断には重みがある。
自慢ではないが私は自分の父親を色々と優れた人物であると考えており、
学校で一番尊敬する人はだれか、という質問された記憶のある方は多いと思うが、
私は自分の場合それは父だと答え、嘘つけ、と言う教師と喧嘩した覚えがある。
高校生のときだ。だから教師は嫌いなのである。
病院付近の地図。 | 病院の前の通り。 | 中央奥に見える屋台がドラマチックだ。 |
サムトサコーン病院。海が近いところなのだが、 着いてまず感じたことは、磯臭い。 私はどうもこの国の人々を好きには なれないのだが、この国の良いところは 病院がよりビジネスライクなのが癪なことは 癪なのだが、24時間営業である点は便利だ。 夜中でも普通に患者がやってくる。日本だと 夜中にやっているのは県内にある数カ所の 緊急病棟だけだったりして、大変不便だ。 |
左写真の右手にある受付。写真は来場者が だいぶ引けてから撮影したのだが、 私達が着いた頃はかなり混雑していた。 まるでバス・ターミナルみたいなところで、 椅子の上には食いかす・飲みかすが ぶっちらかっていた。建物は吹き抜けで、 エアコンも扇風機もまるで効いていなかった。 看護婦がやたらデブとったのばかりなのが 気になった。 |
正面が診察室。至る所に年寄りを載せた 担架が置かれており、どの患者も動かないので そのうち死体は何体あるのかという状態で、 付き添いが無く消え入りそうな声で 「痛い、痛い」と呻いているお婆ちゃんがおり、 まるで野戦病院だ。カルテの整理係は 見るからにキャパオーバーで、ウチの家族の 人達もちょっととろいところがあるので、 私など50%も分からないにも関わらず、妻に ちょっとあんた見ていて、と頼まれた。私でも 事務能力は少しは見込まれているらしい。 |
右上写真で隠れていた看板を斜めから撮影。 パネーク トルアット ローク トゥア パイ (一般疾病診察部、といったところか) 医師は女医だったがその対応も、 それこそサミティベートみたいな都心の病院と 異なりべらんめえ口調で、感じが悪かった。 何だか私まで腹が痛くなってきた。 |
診療所内を野良犬が駆け抜けて行った。 これには親族一同皆驚いていた。 これだから、狂犬病を絶滅できるわけがない。 |
それこそ本当に海辺の酒屋みたいなところだ。 私だったら、自分がこんな ところで診療される、と聞いたら絶対に 拒否するだろう。 |
窓ガラスにオレンジ色で掛かれている文字は、 アーカーン メー(母の建物)。 ちょっとどういう意味なのか分からなかった。 (婦人科、というのは別の言葉がある) |
外来用トイレ。とてもではないが 使う気になれない。 |
タイでは珍しい、自動販売機があった。 が、壊れていた。コイン投入口に手書きで スィア(壊す、壊れた、壊れている)と 書いた紙が貼られている。 |
診察が終わると、2階に案内された。 まるで死体安置所だ。 ここで処置を受けるまで待てとのこと。 右写真の部屋には患者の他に付き添い 一人までしか入れてもらえなかった。 |
写真上部左手に、白抜き文字に赤い縁取りで クンナ パープ チーウィット コン ターン クー ガーン ボリカーン コン ラオと 書かれている。すごく訳が難しいが、処置室 とでも言いたいのだろう。 右の壁には女性専用病棟と書かれている。 |
1Fに下りて病室に向かう。ここは病室と 診察棟の建物が分かれている。 |
上の写真は2枚とも分かりにくいが、病人食のトレーが椅子の上や棚の上に放り出してあり、 表示とは裏腹に、一体どういう衛生管理が行われているのかと疑問に思えてくる。 |
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写真は何の施設だか分からないが、 病院内にはいろいろな施設があり、 まるで病棟がアパートで、 ここは住宅街のようだった。 |
コピー室 | 21:00には閉まってしまったようだが、喫茶店。 |
次々移動させられ、次は何と言われるのだが、 一体どのくらい待つのか何の説明もなかった。 21:00にはエアコン・扇風機が切られてしまった ので、外で待つことにした。写真は前述の 2つの棟の中間地点で、丁度良い風が 吹いていた。 |
野良犬・猫が病棟内を跋扈していた。 | なんと、野良犬に餌をやる人間がいるらしい。 病院で狂犬病を培養していることに他ならない。 |
病院の敷地内にコンビニがあり(但し敷地内に 向いているのは裏側であり、店に入るには 一旦病院の門の外に出なければならない)、 軽く何か腹に入れることにした。 |
ほっかいどうメロン・ジュース。 最近タイの飲み物も甘さは だいぶ抑えられている。 値段は忘れたが20THBもしなかったと思う。 |
ソーセージ。13とか15バーツで 売られているものだが、美味くもなんともない。 |
病院には当然のことながら禁煙、撮影禁止の張り紙がしてあり、 義兄さんはラオス生まれで純朴な人なのだが、妻の見舞いと言いつつあちこち撮影している私を見て、 撮影禁止と書いてあるけど、と懸念を表明してきた。だが、病院側からは何も指摘されなかった。 野良犬が跳梁しているのはそういった張り紙が無いからなのか、張り紙をしてあっても動物には 読めないから張り紙をしていないのかと、そんなシニカルな気分になった。 21:45頃、妻が手術室に入ったと同行してくれている義姉さんが報告してくれた。 手術は直ぐに終わるわよと。ところが、手術が終わったのは23:00を過ぎていた。 私達外組はまんじりともせずに待ち続けたが、なぜそんなに時間が掛かるのか分からなかった。 待つ間何もできない自分が先に死んでしまうのではないかと思われた。 恐らく、手術室に入ってからも待たされていたのだろう。ここまで読んでいただいた方には お分かりいただけるかと思うが、とにかく外国に来て心掛けなければいけないことは、 国ごとに風習が異なり、我々の常識は場合によっては他所の国では全く通じないことがあるということだ。 違う星の人間なのではないかと思うことがある。 看護婦に保険はないのかと訊かれ、特別なものは無いと答えた。 ここで少しタイの保険制度について説明しておくと、 この国にも国立と私立の病院があり、国立病院は料金が安いので大衆が殺到するため非常に混んでおり、 待っている間に患者が死んでしまったりする。サムトサコーン病院も国立だ。 私立の病院は費用は高くつくが大変フレンドリーであり、空き状況によるが処置も素早く、サミティベート病院は私立である。 ただ、結局のところサービスは人の質によるので、その高尚な方針の妨げになっている。 健康保険制度だが、就労者は最寄りの好きな病院を選んで指定医にすることができ、料金の割引を受けられる。 ただ私の妻の場合、専業主婦なのでこの保険は入手できず、会社を辞めた際にかなりその事務局と揉めたらしい。 一般の保険だが妻は生命保険には入っている(受取人は末弟さん。まるでモンゴル帝国みたいだ)が、傷病保険には入っていない。 これも、内容の充実したものは外国の保険会社のものに頼らざるを得ず、掛け金は高額である。 先ほど述べた特別なものというのはこれのことだ。 その他にタイ人にはタイ国民なら誰でも国から30THBで購入できる、
通称バット(札〔ふだ〕)・トーン(金)というのがあり、これは文字通り金色のカードなのだが、 正式名称を「あらゆる種類の病気治療に対して30THBで受療可能な何とかカード」といい、 通常は出生県(私の妻の場合はナコン・サワン県)にある病院でしか使えないが、 今回のような急病の場合は、余所の病院でも使えるとのこと。 ただし、風邪とかそういうどうでもいい病のときは使えない。 またサミティベートのような私立の病院でも使えない。 健康保険証とバット・トーンとどちらが威力があるのかは妻にも分からないとのこと。 当然のことに保険の併用は出来ないが、これらのうちのどれを使うのが一番有効なのかは、 病院側が訊いてくれるので心配ない。 また義兄さんは徴兵に応じているので国から健康保険をもらっており、オレは大丈夫だと言っていた。 何が大丈夫なのか知らないが。 この人は愚鈍なくらい実直な性格で、常々奥さんからとろい、とろいと詰られているのだが、 経歴が示すように、並の日本人には太刀打ちできないほど肝っ玉が据わっている。 2,3日同じ場所でじっと待ち続けることぐらい屁でもないのだ。 |
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手術が終わって病室に入る。最上階(12F)で、 私は何も注文を付けていないのだが、 最上級の部屋だとのこと。料金は3,000THB。 またこの病院には個室しかないとのこと。 そんなわけねえだろという話だが、 空いていなかったということなのかもしれない。 まあどうでもいいことだが。 |
冷蔵庫にはドリンクが大量に備蓄されていた。 | インスタント・ラーメンが満載されたタッパーが 用意されていた。 |
私が病室に入ると皆寝室の外に出て行った。気を使っているつもりだろうか(笑 (病室は寝室と居間に分かれている)ベッドには電子的に姿勢を変える機能が付いており、 そこそこ近代的なようだった。看護婦の出入りがあるため鍵を掛けるなと言われたが、 病院内にはそこそこ怪しげな連中がうろついており、施錠しないという神経が信じられなかった。 看護婦がカギを持っていればいい話ではないのか? |
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処置後、妻は声も出ないようで、
かすれ声で「痛い」と言うのが精いっぱいだった。予想外に痛々しく、 それを見たら涙が出そうだった。 月曜日に退院できると医者は言ったが、 私は姉婿さんに申し訳ないがもう何日か 彼女が完全に回復するまで預かって もらえないかと頼んだ。 彼は快く承諾してくれた。 初日は女である事情もあり、義姉さんが 付き添いを申し出てくれた。 結局病院を出たのは12時を回っており、 帰宅したのは1時を過ぎていた。 寝たのは2時だった。 |
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シャワーまである。 | 個室内のトイレは、紙があった。 カーテンの奥がシャワールーム。 |
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私は妙なところで感傷的になることがあり、例えば台所に妻が翌日の昼にでも食べようと思って買ったのだろう、 ご飯に2,3切れの焼いた豚肉を載せただけの、無地の発砲スチロールに入った比較的質素な 弁当が置いてあるのを見つけたりしたときに、突然切なくなってほろっとくることがある。 翌土曜日、上司の命令で15時に仕事を切り上げて見舞いに来た。 着いてみると、弟さんご夫婦がお見舞いに来てくれて帰った後だった。結婚したばかりの姪っ子さんご夫婦も来ており、 そのご主人が床で伸びていた(寝ていた)。ご主人は帰ったが姪っ子さんは残った。 |
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病院の昼間の顔 | 電子レンジは各棟で共通らしい。 | 私は2日間寝不足でかなり疲労しており、 妻の病室に着くなりソファーで寝てしまった。 起きるとかなり寒いことに気が付き、エアコンの 表示を確認して驚いた。20.5度・・・こんな温度が 患者の健康に良いはずがない。調節方法が 分からないので看護婦に訊くと、調節できない という。だが別の看護婦にも訊いたが 本当に調節できなかった。 |
というわけでエアコンは点けたり消したりしていたのだが、妻は正確に25度になると暑いと言った。 こうなると私も寝れず見舞いどころではなかった。全くこの国の人達は絶対イカれている。 |
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病室の窓からの景色 | ||
何にしても貴重な体験ができた。 海外生活というのは色々な意味で +/-があるが、見たことがないもの、 知らないものに接するというのは、いつでも 心躍るものがある。それが+であれ、 -であれ、全て社会勉強である。 国内にいたいと思う者、国を出たいと 考える者、両方の志向があるが、 私には妻がおり、言語的にもまあ他の人よりは 不自由しないため、現地法人からは 頼られているという自覚もあり、 今や私の生活は完全にこの国にある。 |
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お腹が空いたら食べて、と妻に言われた のだが、彼女自身は点滴を受けている身で 食べ物は禁止されていたので何かと思ったら、 病院側が見舞客用に用意してくれたらしい。 悪いがオレの食えそうなものはないよ。 |
インターネットなんか無いって。 | |
妻は点滴をしており、木曜の晩に病院に行ってから何も食べていなかった。 私も点滴をしたことがあるので分かるのだが、これをやっている間というのは 不思議と食欲も湧かないもので、私達は余裕で彼女の目の前で飯をかっ食らっていた。 |
土曜日には、妻はだいぶ回復してきたようで冗談を言うと笑うことができ、
私が昼寝から起きると上半身を起こしていたので安心した。
この日は翌日が休みなので泊まるつもりでいたのだが、
メルもいるし洗濯物も溜まっているし、着替えも持って来ていないし、
歯も磨いていないし風呂にも入っていない(こんなところの風呂には入りたくない)ので
出来れば帰りたいwと考えており、こちらから言い出さずに泊まるのかと訊かれるのを待っていた。
「今日は泊まるよ」と言ってやれば喜ぶのは分かっているのだが、この辺は戦略がある。
私が昼寝から覚めると案の定、「今日は泊まるんでしょ?私達今日は帰るから」とお義姉さん二人。
ハイハイ・・・
退院に向け看護婦からしきりに歩け歩けと言われており、日曜日にはリハビリに付き合った(病院内を歩く)。
彼女は驚くほど回復したように見え、大丈夫かと訊くと、
「帰るの?」と訊き返してきた。
・・・
お姉さん達が来てくれないと帰れないでしょ。
義妹さんと姪っ子さんがバトンタッチできない。
この辺が、近所の病院と違って一回帰って家のことをしてから病院に戻る、
ということができなくて不便だった。
昼過ぎにお義姉さんに電話してどこにいるのかと訊くと、
田舎から出てきている方の、義姉さんの息子さん(甥っ子)の赤ん坊を訪ねているという。
場所はバン プリーというところ(遠い)。
何をしているんですか・・・
こっちの人達というのは、病院には付き添ってくれる分際で、
どうも変なところでとろいというかのんびりしている。というかマイペースだ。
私は妻に断って、妹さんや姪っ子さんがいるにも関わらず、妻にキスして出てきた。
私は人目というのを気にしない。物事には優先順位があり、
しなければならないことがあったら、するまでだ。
もし時間がないのであれば。
病室で横たわる妻は妙に弱々しく、その姿を見て私の方がおろおろしてしまった。
彼女はおならが出ないと嘆いており、トイレに連れて行って便座に座らせたが駄目だった。
まあ、急ぐようなことじゃないんだからさ・・・
たかが盲腸とはいえ、自分の妻がこんなことになったのが信じられなかった。
そして自分が健康であることを改めて思い知った。代われるのであれば代わってやりたい。
夫である自分が付き添うのは当然であり、
なぜ当初行くとか行かないとかといったことをグダグダ考えていたのか後悔した。
私というのは、何年か一人暮らしをしていたとはいえ、それはそれ、
一旦会社を出て家に帰ると、全く役に立たない夫の典型のようなものなのだが、頼りになるならないは別として、
妻には、夫の方がかえって血の繋がった家族よりも、精神的な意味での励みにはなるようだった。
家族というのは体に触れたりまではしないものであり、そういう意味では夫の方が
自らを必要とする人間がいるということが確認できれば、それが生きる糧になるのかもしれない。
自分が具合が悪くなったとき、私だってそうだ。
私達は、妻は長年男っ気が無かった人物であり、そんな人がふと自分の前に現れた、変な外国人に興味を持った。
私にしても、自分に結婚願望があることは認識しており、偏屈な自分に問題がありそれまで結婚できなかったわけで、
出会いのありなしではないが機会が訪れた時、それを逃してはならないと考えていた(こちらを参照)。
そんな二人が一緒になったのだから、絆というのは何よりも大切であり、
それが綻びるとしたら、お互いが信じられなくなった時である。
だから、仕事柄連絡が途絶えがちになることはあるだろうが、
気持ちを確認し合うことを怠ってはならない。
帰り道、エアコンの効かないタクシーの運ちゃんが、
カセットテープデッキでターイ・オラタイの歌をかけていたので、私はボリュームを上げてくれと頼んだ。
その曲は明るい歌だったのだが録音が悪く、くぐもった音しか聞こえなかった。
ただでさえタイ語の歌の歌詞の聞き取りなど難しくてできないのに、
ろくに聞こえないてこない歌詞を理解しようとしている自分に気付き、そんなことをしている暇があったら、
なぜもっと妻を理解しようとしなかったのかと思うと泣きたくなってしまい、笑いながら何とかこらえた。
手術直後の光景が脳裏に蘇った。
映画だの音楽だの本だのに感動するというのは、その物語の中身の良し悪しの話ではない。
物語は単なる呼び水であって、自分の常日頃の感情活動が不足している、ということなのだ。
つまり、あなたは人間らしくない、ということ。
サムトサコーン病院からRama IIのCentralデパートでタクシーを乗り換えて、自宅まで2時間。
家に帰って犬の世話をして、メル(犬)を抱いてやってから泣いた。
メルが私の頬を舐めた。
泣きたい時は泣けばいい。
それよりも、自分に涙をコントロールする能力があることが分かったことの方が驚きだった。
誰でも別れてから初めて悲しみを知る、ということはあるだろう。
死んでからでは遅いのだ。
悔いることのない行いをしようと、口に入った涙の塩の味を噛みしめた。
翌日朝、メルに顔中べろべろに舐められて目が覚めた。
目まで舐められてさすがにおわっという感じだった。
普段妻がいなくてもこんなことはされない。
せいぜい2,3回ワンワンッと吠えるだけだ。
朝飯を要求しているのだが、妻が不在の理由を彼女なりに理解しているのだろう。
今回出費した費用を以下に明記しておく。
日付 | 病 院 | 明 細 | THB | JPY(換算) |
8/15 | サミティベート病院 | 検査・入院費用(1泊) | 171,093 | |
8/16 | サムトサコーン病院 | 手術・入院費用(3泊) | 9,030 | 29,650 |
8/22 | サムトサコーン病院 | 術後確認 | 30 | 100円以下 |
計 | 200,843 |
サミティベート、殆ど泥棒だろ。
サムトサコーン病院では、前述のバット・トーンのおかげで格安で済んでいる。
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